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法華経エッセイ

法華経の教え:すべての人が幸せになれるらしい・・・

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◆ はじめに

法華経エッセイは、私が法華経を学び、そして実践していく中で、天の啓示のごとく思いついたメッセージの数々と、先人の人達の心に残ったメッセージを綴っています。

そして、ここに来られたのは、今、この文章を読んでいるあなたとこの文章を書いた私との何かのご縁です。その何かを本サイトから感じ取って下さい。

それは、きっと、これからの、あなたの人生を豊かにするものと願っております。

では、ごゆっくりご覧ください。


尚、法華経そのもの解説は、以下の法華経ノートをご覧下さい。

また、本サイトの最新情報は、燈明日記をご覧下さい。

◆ お知らせ

◆ もくじ

◆ 内容

わかりやすい法華経

『進んで良いことを行う。』すなわち、これ法華経なり。

今日、ある人から教わった、わかりやすい法華経です。
正しい事を実践して、良い縁をつくり、自他共に幸せになる。

法華経を一言で言うと・・・

『ある人』こと某会の某教会長さんから前に聞いたお話です。

『ある先生』こと法華経の大家である庭野日敬氏は、あるインタビューで『法華経を一言で言うと何でしょう?』と聞かれました。 法華経を知り尽くし、実践尽くした庭野日敬氏は、さて、なんて答えたでしょうか・・・。

某会以外の人は、あまり興味がないかもしれませんが・・・、某会の人は、興味深々ですね! で、いろいろ想像してみてください。『六波羅蜜』『縁起観』『四諦』『十如是』・・・。




お待たせしました。答えです。

『法華経を一言で言うと何でしょう?』とインタビューされた庭野日敬氏は・・・。

『良いご縁を作ることです。』とお答えになりました。

いや〜、まさに法華経を一言で言ってのけました。さすが開祖さま!

さぁ、皆さ〜ん、良いご縁を作りましょう! ・・・ということで、まとめとします(合掌)。

「正」しいとは?

昨日、とあるところで、法華経の勉強会がありました。その時、正しいの「正」は、一(真理)が止まると書きます』と説明がありました。そこで、すかさず、一は真理とイコールですかと質問をしてみました。

すると、『一般的には、「一」には真理という意味はありません、しかし、法華経観では、すべての人は一つの乗り物(一乗)に乗っているいう真理があり、そこから「一」イコール「真理」となる』と説明がありました。

つまり、正しいとは、真理が止まること、言い換えれば、真理がある状態らしい・・・。

正しいHTML、正しいかな使い、正しい論理、正しい・・・は、真理がやどる・・・。

『辛』と『幸』

今日は、午前中に佼成出版社の社長さんの講演会へ行き、帰りはそのまま、ちゃいちゃんのお墓参りに行きました。

講演では、記者出身の社長さんが、記者時代に取材現場の感動を如何に文章(記事)で表現することが難しいかというお話しをしていました。

確かに、感動を文章で表現するのは、超難しいです。

で、社長さんが言うには、結局、如何に自分がその感動で高まるかが、キーポイントになるそうです。

あと、特に心に残ったお話しで、仏法では、『一切皆苦』という教えがあります。つまり、生きることは、すべて苦しみという教えです。 そして、苦しみであるがゆえに、生きるのが『辛』いわけです。また、そして、その『辛』さの原因を見極め、結果的には善い行いをしていくと『辛』という字に真理(一)が宿り『幸』になるとの事でした。なるほど、うまい。

法華経的人生の目的

あなたの人生の目的はなんですか?


なんて、突然言われてもこまっちゃう・・・。とか、そんなこと考えたこともない・・・、と思った人がほとんどだと思います。そこで、そんな人のために、今日、法華経の講習会で教わった、法華経的人生の目的をご紹介致します。

法華経的人生の目的
人間の本質は、仏性であることを自覚し、自分と他人を分けて自己中心に考える「我」の心を取り除きながら、いのちの大本である「一つの大きな輝くいのち」と常に一体感を味わえる境地(成仏)にまで、絶えず向上の道を歩むこと。

まぁ、こんな感じです。『いのちの大本である「一つの大きな輝くいのち」』がつっこみどころかもしれませんが、とにかく、法華経的には、すべての人は「一つの大きな輝くいのち」に生かされていると説かれています。

わかりやすく言うと、魂的には、実は全人類皆兄弟姉妹で、だからこそ、仲良く助け合って生きて、皆さん全員幸せになりましょう ってことらしい。(まだ、修行中なのではっきり言えない・・・)

で、まとめですが、ちょっとテーマが大きすぎて、まとまりませんが、次回の機会にということで、よろしくお願い致します。

バスの時刻表

あるバス停におじいさんとおばあさんがいました。

なにやら、おじいさんは時刻表をぶっ叩いて怒っています。

『もうとっくにバスが来ている時間なのに、なんで来ないんだぁ!こんな時刻表などいるもんか!捨てちまえ!』


すると、連れ合いのおばあさんが言いました。

『おじいさんや、その時刻表がないと、バスがどれだけ遅れたかわかりませんよ・・・』


現実の社会は、このバスと同じように、決して時刻表通りにはいきません。しかし、時刻表があるからこそ遅れているのがわかるのです。

そう、お釈迦さまの教えは、バスの時刻表のようなものです。

人生は、時間通りに来ないバスのようなものだからこそ、つねに時刻表(お釈迦さまの教え)と照らし合わせて、その差を埋めるべくことに価値があるのです。

そして、その価値こそ、『生きがい』と呼べるものだと思います・・・。

神通力

まぁ、現代では超能力のことですが、お釈迦さまの時代は神通力と呼ばれていました。で、お釈迦さまをはじめ十大弟子の人達は皆、神通力の能力を持っていたとされています。

これは、凡人は、どうしたら神通力を会得できるのかと考えてしまいますが、実は、神通力を会得するのが目的でなく、仏道の修行をしていれば自然に会得してしまうものだそうです。そして、ブッダ教団の幹部は、結果的にMr.マリックのような人の集まりになりました・・・。

しかし、この幹部連中を見ていて、オレも神通力が欲しいと願っていた者がいました。そう、お釈迦さまの従弟の提婆達多です。

この人、お釈迦さまと同じように優秀な人でしたが、あらゆる面で一歩お釈迦さまに及びません。で、しだいにお釈迦さまに悪意を持つようになり、いろいろとお釈迦さまの命を狙います。神通力も十大弟子の一人をそそのかし、会得してしまいます。もともと優秀な人ですので、次第に実力者になっていきますが、もろもろの悪行がたたり、最後には生きながら地獄へ落ちたと言われています。

なんか、まとまりませんが、とりあえず、提婆達多品第十二の予告でした。


私も、仏道(法華経)を修行していますので、そろそろ神通力が欲しいなぁ・・・って言ってみるテスト。

あっ、そう言えば、スプーン曲げは出来るんですよ! Mr.マリックの真似したら出来てしまったのです。凄い!

で、まとめですが、正しい行い(修行)をしていくと自然に神通力が会得できるらしい・・・、とにかく正 しい行いです!

悩んだ人ほど、真理はすぐ傍に・・・

『ある先生』のお供で『ある人』が海外へ行きました。

『ある人』は、そこで、日本語交じりの英語で何かいろいろ回りの外人さんに話し掛けている日本人を見かけました。どうやら海外で迷子なって凄く動転している模様です。迷子の人は、『ある人』が日本人あるとすぐわかったので、地獄で仏のごとく、助けを求めてきました。

で、手がかりは、Sの付く看板があるホテルに泊まっているとのことで、さっそく、Sの付く看板があるホテルを探しましたが、これだけの手がかりでは、まったく、分かりません。そこで、地図でSの付くホテル探しをしていたらシルトンホテルがあり、それを発音すると『おー、その名前のホテルだ!』と迷子の人は言いました。

そして、なんとそのシルトンホテルは、今立って居る斜め後ろのビルではありませんか!

悩みに悩んで、探しに探していたら、いつの間にか探していたホテルのすぐ前に居たのです。しかし、居ても気づかずに・・・。


このことを『ある人』は、『ある先生』に報告すると、『ある先生』は、以下のようにおっしゃいました。

『人助けが出来てよかったですね。悩みに悩んだ人ほど・・・真理のすぐ傍にいるものです・・・。』


ちなみに、『ある人』とは、某会の某教会長で、当時、佼成出版社の記者。『ある先生』とは、某会の開祖こと庭野日敬氏です。

あぁ有り難い

障害を持って生まれてきたある一人の青年がいました。 青年は、学生時代に障害のことでイジメにあったり、機能回復の手術を何回も受けたりと、 困難な人生を歩んできました。

そんな青年の母は、お見舞えに来た人達などに、ことある毎に『有り難い有り難い』と言っていました。 しかし、青年は、何がそんなに『有り難い』のかいつも疑問に思っていました。

そんな中、母のご縁で、とあるボランティアに参加することになったのです。 はじめは、母の手前、我慢して、何でオレがと・・・参加していたのですが・・・。

しばらくして、ボランティア人達とも打解けて仲間になり、そして、その仲間のやさしさにふれた時に、 はじめて、心の底から『あぁ有り難い』と思える感動が湧き上がってきたのです・・・。

そして、それは、お母さんやご先祖さまから受け継いだ感謝の気持ちだったのかも知れません。

真の菩薩行

『ある人』が、『ある先生』のお供で、インドに行きました。 『ある先生』は、大変忙しく、また、大変偉い方なので、 日本では、話すご縁などありませんでした。

しかし、今回のご縁で2時間、さしでお話しする機会を得たのです。 『ある人』は、大変有り難いご縁を得たので、緊張と感激のあまり喉が乾き、 傍にあった生水を誤って飲んでしまったのです。

そう、インドは、ご存知の通り、生水は不衛生です。 その晩、当然のごとく、「なんとか赤痢」に掛かって、死ぬような苦しみを味わいました。 すると、『ある先生』は、自分がこのようになった時のために用意した点滴をくれたのでした。 尚、点滴は3本用意してきましたが、すでに2本は、同じような症状の同行者に与え、最後の1本を くれたのでした。

点滴を打ったら、『ある人』は、今までの苦しみがうそのように回復しました。 すると、こんどは、『ある先生』の様子がおかしいことに気づきました。 そう、『ある先生』も、実は、「なんとか赤痢」にかかっていたのです。 しかも、『ある人』に点滴を与えた時に、すでに「なんとか赤痢」にかかっていたのを 『ある先生』は、ご自分で知っていたようなのです・・・。

真の菩薩行とは、自分がどんな状態でも、目の前の苦しんでいる人を助けずにはいられない、そして、助ける。そのような行いらしい・・・。

その後、『ある先生』は、恩に着せることなく、そして、『ある人』は身を持って、真の菩薩行を間近で見ることが出来たのです。

ちなみに、『ある人』とは、某会の某教会長で、当時、佼成出版社の記者。『ある先生』とは、某会の開祖こと庭野日敬氏です。

不惜身命(ふしゃくしんみょう)

『不惜身命』は、法華経の勧持品第十三に出てくる言葉です。意味は、「身命をなげうっても惜しくはない」という精神のことです。

では、「身命をなげうっても惜しくはない」精神とは、すべての人の真の幸せのためには、自分の生命さえも惜しくないという徹底した境地です。

といいますと、たぶん、反感や抵抗感をもたれた方がいると思います。生命が何より尊いものだと・・・。

しかし、これは、生命の受け止め方が自分本体だと思うからで、仏法で云う生命とは、仏性のことであり、永遠の命です。自分の生命さえも惜しくないという生きかたこそが、実は、ほんとうに生きるということなのです。


と、某法華経解説本に書いてありました。今、噛み締めていまーす!

『幸せ』を考える

本サイトのキャッチフレーズは『ここは、あなたの幸せを応援するサイトです。』です。そこで、久々のゆっくりとした休日なので、『幸せ』について少し考えてみようと思います。

たとえば、お金が沢山あって、時間が沢山あって、健康が沢山あって、なんでも好きなことが沢山ある状態が、『幸せ』でしょうか・・・。

このような状態は、『幸せ』というより、私には逆に『虚しい』感じがします。

つまり、幸せに、お金、時間、健康は関係ないのです。では、何が関係あるのでしょうか・・・。

私は、最近、以下の3つが『幸せ』のキーワードだと思うようになりました。

  1. ストレス
  2. ボランティア
  3. コミュニケーション
ストレス

たぶん、皆さんは、『幸せ』とは程遠いキーワードだと思ったでしょう・・・、しかし、実は、ストレスこそが『幸せ』の源のように感じらるのです。

たとえば、大小のいろいろな人生の壁にぶつかった時に、体の内にエネルギーが満ちてくることがあります。このエネルギーこそが『生きがい』と呼べるもののような気がしています。

最近、会社でストレスを感じるヤツがいても、逆に、この人のお陰でまた成長できるのだと思えるようになりました。おぉ幸せやー。

ボランティア

たぶん、皆さんは、『幸せ』とは程遠いキーワードだと思ったでしょう・・・、確かに、奉仕するより奉仕される方がラクだと思います。

しかし、奉仕活動の経験のある人は、説明は要りませんね。そう、奉仕活動ができると言うことは実に『幸せ』な状態なのです。人は本能的に人様のお役に立てると嬉しいのです。うそだと思う方は、ボランティアをしてみてください!

コミュニケーション

これは、説明は要りませんね。人は一人では生きていけません。コミュニケーションは実に楽しいです。

ですので、掲示板、ゲストブックへがんがん書きこんでコミュニケーション致しましょう!

まとめ

で、昨日の日記の『不況』は、実は『幸せ』とエイリアスだったことが、今明らかになるのです。

『不況』は、ストレスの塊です。そして、『不況』でアウトした人が増えてくれば、それだけボランティアの機会が増える訳です。ボランティアの機会が増えるば、その人達とコミュニケーションが出来るわけです。

『不況』こそが、実は『幸せ』になるチャンス。なんか、間違っていますか・・・。

法華経は誰が説いたのか?

『ある先生』こと某会の開祖、庭野日敬氏が初代会長を引退する時に、当時、佼成出版社の記者であった『ある人』は、仕事でインタビューする機会があったそうです。

庭野日敬氏は、あまり知られていませんが、実は、昔から日本には、宗教教団の初代でこれほどおおぜいの信者さんをもった人はいないそうです。数は少なくとも、親鸞、日蓮、達磨等は有名ですが・・・。

ですから、『ある人』は、当然、庭野教の祖師を起こされるんでしょうか?・・・とインタビューすると・・・。

庭野日敬氏は、以下のようにおこたえになりました。

「私が説いた教えなど何もないです。ただ、法華経の教えを説いていただけなのです。」

「ですので、庭野教などなく、釈尊教団の某会なのです。」

「また、釈尊も日蓮も自分の説いた教えなど何もないはずです。」

では、誰が、法華経の教えを説いたのですか?

それは、釈尊がいた時代よりもっともっと大昔よりあり、これから先、未来永劫にまである、普通の人には理解し難い、真理そのものが、実は、法華経なのです・・・。

ちなみに、『ある人』とは、当時、佼成出版社の記者で、現在、某会の某教会長です。

教会長さん、いつも、ネタ、ありがとうございます!

当たり前のことを当たり前にすることが大事

「当たり前のことを当たり前にすることが大事」

これは、『ある先生』こと今は亡き、某会初代会長の庭野日敬氏が生前にいつもいわれていたお言葉です。

そう、「当たり前のこと」、それは端的にいえば「真理」と云うことです。この世のすべては、つねに変化し、相互にかかわりあっている。こうしただれもが否定できない「当たり前のこと」を「真理」といいます。

そして、智慧慈悲を実践し、人をして利他心をおこさしめるような布教伝道が大事とのことでした。

By 今日の法華経勉強会より


利他心とは

自分を犠牲にしても他人の利益を図ること。

自己の善行の功徳によって他者を救済すること。

当たり前の事を当たり前に行うことが大事(その2)

仏法では、誰もが否定できない「当たり前の事」を法(真理)といいます。

しかし、この「当たり前の事」を「当たり前に行う」ことが、実生活の上では凄く凄く難しい訳です。

今日、ある年配の方から以下の有り難いお話を聞かせて頂きました。

あるお寺に、お釈迦さまの教えを悟りきった凄く偉いお坊さんがいました。

ある仏教専門の偉い学者さんが、是非、教えを請いたいと遠い所からわざわざそのお寺へ訪ねてきました。

学者さんは、お坊さんに、お釈迦さまの難しい教えの真髄を教えて下さいとお願いしました。

すると、お坊さんは、お釈迦さまの教えは、難しくありません。3歳の子供でもすぐ理解ができます。といってお話しをはじめました。

お釈迦さまの教えは、『悪いことをしては、いけませんよ、良いことをしなさい。』これだけです。

それを聞いた学者さんは、わざわざ遠いところから、そんな「当たり前の事」を聞きに来たのではないと怒りはじめました。

それを見て、お坊さんは、『では、あなたは、その「当たり前の事」を実行することが出来ていますか・・・』

それを聞いて、我に帰った学者さんは、仏法を悟ったそうです・・・。

ちなみに、「法」とは、さんずいに去ると書きます。さんずいは、みなさんご存知の通り「水」です。そう、「法」とは、水が流れて去っていくというごく「当たり前の事」をいっている漢字だったのです。

成道会

今日、12月8日は、お釈迦さまがいろいろと修行されたのち、真理を悟り、仏道が成った日(成道会)です。

しかし、修行といっても苦行では悟りはえられぬことに気づいたお釈迦さまは、ある日ブッダガヤという町のはずれの菩提樹の下で、静かに坐禅を組み、ついに12月8日の未明、空に美しく輝く明けの明星をご覧になり、 お釈迦さま、こうおっしゃられました。

「奇なるかな奇なるかな、一切衆生悉く皆如来の智慧と徳相を具有す、ただ妄想執着あるがゆえに証得せず」

そう、ついに真理をお悟りなったのです。そして仏教が誕生した日でもありました。

解説

「不思議なことに、不思議なことに、一切の生きとし生けるものはすべて、佛の智慧と徳相を具えているではないか、ただ、煩悩に覆われていてなかなか気がつかない・・・。」

つまり、すべての人は、煩悩を取り除くと仏になれる・・・、本来はすべて仏なので、みな平等・・・。

まぁ、まぁ、私の今のレベルでは、よくわかりませんが・・・、とにかく、約2500年前の今日、お釈迦さまは、真理を悟ったらしい・・・。

ちなみに、お釈迦さまが生まれた日を「生誕会 4月8日」と言い、回りの不幸をいろいろ見て、すべての人を幸せにしたいと願われ、29才で出家し、35才で真理を悟り(成道会)、72才ぐらいからすべての人を幸せにする極意(法華経)を説きはじめ、80才でご逝去(涅槃会 2月15日)されました。

ママの菩薩行

今朝、ゴミ出しに大通り(東八)へ行く途中、道の真中に、たぶん犬(雪のある寒いところで人のとは思えない)の大きなウンコが2つ落ちていました。

私は、寸前のところでかわして、セーフ! あぶない、あぶない・・・。

家に帰って、マチャ(小2)とヤス(小6)に『情報!情報!ウンコ発見。学校へ行く時、気を付けな!』と言うと・・・、ママがいきなり、ビニール袋と新聞紙をもって外に出て行きました。どうやら、道から除去したらしい・・・。

ママは偉いなぁと誉めると、「当たり前のことをやったまで・・・、どこかの口だけの人と違うから・・・」、いやー、一言もありません。ママは偉い!

会社へ行く時に、よその子供達も、グループでそこを通っていました。私は、自分の子だけ、ママはすべてのそこを通る人のために行った行為。差は超歴然。改めて、ママは偉い!


改めて、「当たり前のことを当たり前に行うことが大事」「当たり前のことを当たり前に行うことが大事2」です。

永遠の命

もちろん、人間としての命は有限です。しかし、法華経の如来寿量品第十六に、無限の過去から永遠の未来まで、すべての人へ法を説く仏さまのことが述べられています。

つまり、仏さまは、永遠の命なのです。まぁ、いきなり言われてもにわかに信じられないと思いますが・・・。

で、仏教とは、仏になるための教え・・・、いや、実は、自分が仏であったことに気づく教えなのです。

つまり、自分も永遠の命なのです。もちろん、人間として生身の命は有限です。あくまでも、魂として・・・。


ネットを巡回していて、『聖書での永遠の命』を見つけましたので、ご紹介します。

ヨハネによる福音書17章3節:

永遠の命とは、唯一のまことの神であられるあなたと、あなたのお遣わしになったイエス・キリストを知ることです。

浅く解釈すると「知ること」が「永遠の命」とは、理解不能ですが・・・、しかし、永遠の命である、神さまとイエスさまを知るということは、永遠の命を知ることとイコールなのでしょう。たぶん。

で、法華経風に・・・

永遠の命とは、無数のまことの仏であられるあなたと、あなたのお遣わしになったブッダ・釈尊を知ることです。

なんか、似ている・・・。私は、常常、良い宗教は根本で同じだといつも思っています。

母のやさしさ・・・。

今日某教会で、成人を祝う新春の集いがあり、とある人からまた、ちょっと感動したお話しを聞かせてもらいました。

といっても、ざっくと、お話しをされていたので、雰囲気&要約しか掴めませんでしたが・・・。

それは、子供がお母さんへの感謝の気持ちを表したお話しで、こんな感じでした。

私が、朝起きるといつも掛け布団がちゃんと掛かっている。おかしいなぁ・・・寝る前は暑いから掛けなかったのに・・・。

お母さんが、私が目を覚まさないように、やさしく布団を掛けてくれたんだ・・・、きっと、そして、いつも・・・。

おかあさん、ありがとう。なにもお返しができないけど、きっと将来、自分が親になった時に、このやさしさをお伝えます・・・。

実際は、もっと感動的だったんだけど、私の筆力では、これが精一杯・・・。

いつも、寝る前に、まちゃとヤスに布団をかけてやるのとかぶっちゃて・・・。この話しを聞いた時に、不覚にも涙が出てしまいました。


本当のやさしさとは、相手が気がつかないところにあるらしい・・・、そして、恩を着せることなく、すべてを許すこと・・・。

ちなみに、とある人とは、某教会の教会長さんです。

極意

以下は、とある掲示板で、そこを読んでいたら、ひらめいたメッセージです。

いやー、結構気に入りました・・・>私(self)

某会って何?

リアルでもネットでも宗教の話しは結構タブーですよね。しかし、人が生きていくうえには、「正しい宗教」は、かなり必要だと最近思うようになりました。

またしかし、オウム真理教など「あぶない宗教」が多いのも事実です。

そこで今日は、「正しい宗教」の代表である某会を少しご紹介いたします。

まず、某会会員は、本仏釈尊(根本真理)に帰依し、根本真理が書いてある法華経を全身全霊で信じきること。(はじめからは無理だけど・・・)

また、初代会長の庭野日敬氏が法華経をわかり易く噛み砕いてくださったので、その教えを基にすること。

そして、仏さまに生かされていることを認識し、出家ではなく、あくまでも在家として、人格完成の目的を達成するため法華経の修行と勉強に励み、多くの人々に法華経をお伝えし、自分もさらに法華経を理解して、家庭・社会・国家・世界の平和を築くため、頑張りましょう!

という主旨が、某会です。ポイントは、「人格完成」ならびに、「平和境建設」です。


とにかく、強引な入会の勧誘やお布施の強要などは、一切ありません。(少なくとも三鷹教会は)

基本的には、某会会員の人は、良い人が多いはずです。

ということで、某会を食わず嫌いせず、ご縁があったら、よろしくお願い致します!

いのちを輝かせる

いやー、今日も忙しかった・・・。私もそうだけど、ママとアニキ(長男)も凄く忙しい。

ママは、ミニバスケットチームの役員(会計)と某会の支部婦人部長、休日はほとんど家にいず、家にいても、ずーっと電話をしている。

アニキは、体育系高校のバスケット部で、土日なく本当に毎日練習に朝早く家を出て行く。ちなみに休みは正月ぐらい。

私も、普段は仕事、休みは洗濯や留守番や子守り。今日は、某会関係のボランティア。

三人とも、ふらふらぎみ、しかし、こうして目の前の家事や仕事、あるはお役(ボランティア)に没頭して毎日をすぎていくことこそが、実は「いのちを輝かせる」ことではないのかなぁと、最近思うのです。

ここまで、一生懸命に生きる事を駆り立てるのは、やはり、ちゃいちゃんことで、そうでもしないと生きられないのかもしれません・・・。

逆にいえば、ちゃいちゃんが、一生懸命に生きることを教えてくれたのかもしれません・・・。

ということで、改めて、ちゃいちゃんの 「一生懸命生きること」についてです。

信仰心とは

私は、某会に入っていますし、法華経を勉強していますが、信仰心があるかと言えば、はっきり「ある」とは、言えません・・・。

しかし、最近、なんとなく、信仰心が見えてきました。宗教に興味がある人だけに内緒でお教えいたします。ある人以外は、読まなかったことにして、まぁ、軽く流してください。

それは、「目に見えないある絶対的なもの」を全身全霊で信じ切ること、そして、「目に見えないある絶対的なもの」とは、「一つの大いなる永遠の命」です。

人間生身の命は、当たり前ですが、限りがあります。しかし、魂としての命は永遠であるように思うのです。そして、魂としての命は、「一つの大いなる永遠の命」と繋がっている・・・。

つまり、我々生きとし生けるものは、すべて、「一つの大いなる永遠の命」に生かされているのだと・・・。


このように信じ切れると、日本人はもちろん、アメリカ人もイラク人も「一つの大いなる永遠の命」に生かされている兄弟姉妹なのです。


で、「一つの大いなる永遠の命」に生かしてもらっているのだから、そこに自然と感謝の気持ちが湧いてきて、生かしてもらっている大切な命を精一杯使わせていただこうと思えてくるわけです。

また、すべての人は、「一つの大いなる永遠の命」と繋がっているのだから、そこの良いところをどんどん見つければ、幸せになれるはずなのです。

ここで改めて、ちゃいちゃんが残した2つのメッセージです。

法華経勉強会

今日は、某会三鷹教会で法華経の勉強会あり、以下の3品を勉強しました。

見宝塔品の塔を東京タワーで比喩しましたが、桁が違っていました。富士山の方が近い感じです。

堤婆多達は、お釈迦さまのライバルで従弟ですが、十大弟子で美男子の「阿難」の実の兄です。どうも、お釈迦さまの一族は、美男子で頭良い系のようです。

勧持品に出てくる、叔母の摩訶波闍波提比丘尼は、実は、釈迦さまの育ての母で、実の母は、摩訶摩耶といい、釈迦さまを生んで7日目に亡くなってしまったそうです。


とりあえず、法華経28品のあらましが終わったら、法華経の登場人物(如来、菩薩等)をまとめてみようと思います。

たとえば、四大声聞(慧命須菩提、摩訶迦旃延、摩訶迦葉、摩訶目ケン連)とか、四大菩薩(上行菩薩・無辺行菩薩・浄行菩薩・安立行菩薩)とか。文殊菩薩(智慧)、弥勒菩薩(慈悲)、普賢菩薩(実践)などなど・・・。

なぜお彼岸は年二回あるか?

まず、お彼岸とは? 大辞林(国語辞典)より

(1)春分の日・秋分の日を中日(ちゆうにち)とする各七日間。また、この時期に営む仏事。俳句では、彼岸といえば春彼岸のこと。[季]春。

と、いうことです。しかし、春と秋に「なぜお彼岸は年二回あるか?」疑問に思いませんか。そこで、お彼岸会の委員長である私が、この素朴な疑問を調べてみましたが・・・。

結論からいうと、はっきりとは、分かりませんでした。

しかし、なんとなく、以下の感じです。

ご存知、日本は昔から農業の国です。春に「どうかたくさんの作物が実りますように」と祈り、秋には「たくさんの作物がとれました」と、お日様に感謝する習慣がありました。

つまり、春、秋、年二回、お日様に感謝を願うのです。そう日願(ひがん)です。

一方、仏教では、仏の世界(悟りの境地)へ行くことをサンスクリット語でパーラミター(波羅蜜多)と言い、日本語で「かなたの岸」として「到彼岸」となり、略されて「彼岸」となりました。

そう、ここに、日本の習慣である「日願」と仏教での「彼岸」がクロスオーバーして、春、秋、年二回に「彼岸」が行われるようになったらしいのです・・・。

で、現在は、すでに仏の世界へ逝っている人(ご先祖様)をご供養する日に、お彼岸は、なりました。

また、悟りの境地になるための修行を六波羅蜜と言います。

愚かになることの教え

今日は、団参(団体参拝)で聖堂に参りました。

聖堂とは、ちゃいちゃんパパの場合、東京都杉並区にある某会大聖堂を言います。

団参での内容は、法華経読誦、開祖さまビデオ、説法、会長先生法話、法座です。

法座とは、信者さんが輪(和)になって座り、いろいろお話し合いを致します。

私は、明日のお彼岸会のお話しをさせて頂きました。なんたって、とりあえず、実行委員長なので・・・。

しかし、ほとんど名ばかりの実行委員長で、なにもしていないのですが・・・まぁ、それを懺悔したのですが・・・。

説法とは、法華経によって救われた体験談で、今回は結果的に、夫婦の和がテーマのようでした。

開祖さまビデオでは、本当の喜びは、自分が救われるのでなく、他人が救われることです。と、相変わらず、凄いことを簡単簡素に、言い退けていました。

会長先生法話では、今の学校では、如何に「賢く」なるための勉強で、そこには、競争や対立が生じてしまう。しかし、仏教では、逆に「愚か」になることの教えで、そこには、「和」が生ずると言われました。なるほど・・・。

なんだ、だから私は、仏教に向いているのか・・・。

法華経に関する質問

法華経ノートの読者の方から以下の質問を受け、回答をしてみました。

【質問1】 結局、誰が法華経の教えを説いたのでしょうか?

お釈迦さまが、説いたのだと思います。 ただ、お釈迦さま説く前に法華経が存在していた・・・。

要は、ニュートンが引力を発見しましたが、しかし、引力はすでに存在していた・・・。 みたいな感じです。

【質問2】 仏になる、とはどういうことなのでしょうか?

結論から言うと、「一つの大いなる永遠の命」を認識し、善い行いをして行くことにより魂を磨き、人様のお役に立つことかなぁ・・・。

【補足】 一つの大いなる永遠の命

どうも、人間の魂は、神さま、仏さま、サムシンググレート等と呼ばれる、普通の意識では、理解し難い何かに、繋がっているらしい・・・。そして、その何かこそが「一つの大いなる永遠の命」・・・。

今の私のレベルでは、こんな感じです。おかしな点がありましたら、フォローよろしくお願い致します。

一つの大いなる永遠のいのち

3/24の「法華経に関する質問」で、「一つの大いなる永遠のいのち」を補足しましたが、今日、とあるBBSを見ていて、ひらめいたことがあったので、少し・・・。

「一つの大いなる」とは、無限の空間のイメージで、そして、諸法無我のこと。

「永遠の」とは、無限の時間のイメージで、そして、諸行無常のこと。

また、2500年前にお釈迦さまが悟った真理とは、実は、諸行無常と諸法無我のことだったらしい。なんとなく法華経から・・・。

で、無限の空間と無限の時間にあるもの、つまり、生きとし生ける物すべてが、「一つの大いなる永遠のいのち」で繋がっている・・・。

命は尊いのか?

某BBSで、『命は尊いのか?』について、非常に密度のある議論をされているのでご紹介致します。

本当に自分の生命を固守するために犯す罪業の数々に思いを致せば、恥ずかしくて、臆面も無く『生命は尊い』『戦争には無条件で反対』などと口の端にのぼせることは出来へんはずや。

それを臆面もなく、恥ずかしくもなく口にだせる人がいる。いや、口にだす事を許された人がいる。 それを私は信仰者と呼びたい。

だが、ここにいる連中のほとんどは、 「いや、本当に命は尊いのだ。これは真理である」 と言ってもらいたがっているのだ、俺を含めて。 そして、論理証明を越えたなにか(それこそ神仏の言葉)で、心からそれを納得してみたいのではないか? もしかしてこれが帰依ってヤツだろうか?

ちなみに、私が思うには、地球そして大宇宙がなければ、我々人間は生きていけない。つまり、命は、大宇宙に生かされている。そう、生かしてもらっている。そう思えば、大宇宙に対して自然に感謝の念が沸いてくるわけです。

また、生きたいと思う命も、何かの不幸で生きられない場合もあります。

そう考えた時に、普段、何気なく生きていますが、実は、尊い命を生きているのだなぁと思うのです。

大いなる一つ

仏の真の教えは、唯一であり、それによってすべての人々、衆生(しゅじょう)が成仏できると説く教法を、『一乗』といいます。

そして、『一乗』の一は、『真の教え』のことであり、実は、真理そのものを指します。

また、すべての衆生(人間)が成仏(幸せ)になるための実践行は、突詰めると、正しい行いをすることと仏教は説きます。

そう、辛い日々の生活でも正しい行いをしていけば、やがて、大いなる一(真理)が『止』まって『正』になり、さらに『辛』に一が加わって『幸』になるのです。

いやー、今回は、ちょっと苦しかったかも・・・。

平和への道

遅ればせながら、開祖さま(庭野日敬師)の『平和への道』を読み始めました。

まず、思ったのは、某会会員向けではなく、一般向けに書かれている・・・、実は、私は、この切口の開祖さまの本は、初めてなので、新鮮な感じがしました。しかし、昭和47年の本ですが・・・。

まだ、30ページぐらいしか読んでいませんが、とりあえず、心に強く残ったフレーズを引用します。

理屈を抜きにして、とにかく、人に親切にしてごらんなさい。そうすれば、なんともいえぬすがすがしい、美しい気持ちになります。そして、そういう行いを続けていくと、そのすがすがしい、美しい気持ちが、いつかすっかり身につき、自分の徳になってしまいます。そういうふうにして心が変われば、体も、暮らしも変わってくる。

いやー、自分の徳になる。明日から「人に親切にしよう!」、そして、「暮らしも」変われば、貧乏脱出か!

しかし、開祖さまって、もしかしたら、大作家じゃありませんか! って、なんだ、今ごろ、気付いたのかよ、って言われそうですが・・・。

自分が変われば、相手が変わる

以下のお言葉は、某教団が、対人関係で悩んでいる信者さんへアドバイスする定番です。

自分が変われば、相手が変わる

このお言葉、実は真理を、分かり易く、言い当てている言葉なのです。

真理と言うのは、当たり前のことで、普段は余り気がつきませんが、実は、すべての生きとし生けるものは、大いなる一つの命に生かされているということらしいのです。

生きとし生けるものは、大宇宙(大いなる一つの命)が、なければ生きて行けないわけです。

つまり、生きとし生けるものは、大宇宙で、相互に関係し合って生かされて、まぁ、いろんな現象が生じているのです。

相互に関係し合うとは、仏法では、『縁起』といいます。

また、いろんな現象は、縁を変えれば、現象も変わるのです。


で、『自分が変われば、相手が変わる』は、自分が変われば、縁が変わり、相手の縁も変わるのです。

つまり、自分が変われば、縁が変わるのだから、間違えなく相手も変わるのです

対人関係で悩んでいる方へ、相手を変えようとせず、とにかく、内省し自分の考えを変えてみてください。きっと上手く行くと思いますよ。なんたって真理ですから・・・。

尚、『間違えなく相手も変わるのです』を言いたくて本日記を書きました。どうだ!

また、これに対するつっこみは、某BBSでお待ちしています(謎)。

親の切ない思い

自分の赤ちゃんが重度のアトピーで、痒いので掻いて血だらけになっていたとしたら・・・。 そう自分ではなく、自分ではどうすることもできない、小さな赤ちゃんが・・・です。

つい先日、盲目のエッセイストのお話しを聞かせてもらいました。 このエッセイスト(麻由子)は、四歳のときに失明して、それ以後、母親と二人三脚で今日に至りました。 母親は、麻由子に生きがいを与えるべく、絵本を読んできかせたり、点字を先にマスターして教えてあげたりしました。

四歳の娘が失明してしまったことにたいする、どうすることもできない親の切ない思い・・・。 その切ない思いを力に変えて、麻由子は大学院まで入り、英語やフランス語まで点字をマスターしてしまったのです。麻由子にとって感謝しきれない、最高のお母さんでした。

そして、麻由子にとって、いま一番うれしいのは、本人の何倍も努力したであろう母が以下のようにいってくれたことでした。

「麻由子を育てることで、二度も三度も人生を楽しめた。だからあなたに感謝しているのよ」

アトピーの赤ちゃんのお母さんにも同じような結果になることをお祈りしております。


『苦は楽の種』といいます。もしかしたら、神さまから、苦の克服を楽しみなさいという メッセージなのかもしれません・・・。

心が変われば

先日、長男の進学進路説明会に行った時に、先生が説明の最後に以下の言葉を添えました。

心が変われば態度が変わる。
態度が変われば習慣が変わる。
習慣が変われば人格が変わる。
人格が変われば運命が変わる。

なぜか、進路の説明より、こちらの言葉が心に残りました。なんか、誰かのお言葉らしいのですが・・・聞き漏らしました。

そういえば、開祖さまこと庭野日敬師も同じようなことを仰っておりました。

『平和への道』 By 庭野日敬師

理屈を抜きにして、とにかく、人に親切にしてごらんなさい。そうすれば、なんともいえぬすがすがしい、美しい気持ちになります。そして、そういう行いを続けていくと、そのすがすがしい、美しい気持ちが、いつかすっかり身につき、自分の徳になってしまいます。そういうふうにして心が変われば、体も、暮らしも変わってくる。

また、3月に読んだ以下の本にも書いてありました。

『下坐に生きる』 By 神渡良平

人間のレベルを決めるものは、結局のところ『志』だ!

みなさん、どうやら、『志』が生きていく上で最重要ポイントらしいです・・・。

法華経のあらまし

今日、ネットサーフィンでたまたま見つけた 法華経のあらまし等です。

実は、このコンテンツは、某会の公式サイトのものです。やっと、それらしきコンテンツを掲載しはじめたな・・・。

どんどん、この手のコンテンツを増やしていってください。期待しています。


しかし、「リンクについて」なにやら書いてあるけど、WEB上では、リンク自由が原則で、リンクされたくなければ、公開しないか、会員制(パスワード入力)にすべきです。これ新聞系サイトも同じ。

ですので、公開されていれば、ガンガンリンクします。誰にともなく・・・。

ママ in 青梅練成

この土日に一泊で、うちのママが、某会の多摩教区婦人部青梅練成に参加してきました。

私は、子守りで・・・。しかし、チビは、もう三年生なのであまり手がかかりませんし、夕飯は、私の手作りカレーで、チビもアニキ達もうまいうまいと、ご飯を沢山たいらげました。そう結構、ママがいなくても大丈夫。

で、練成は、家庭の事情で行けなかった人もいるみたいなので、ママからのお話しをお分けします。

初日は、教区長さんの『なぜ信仰が必要か?』というお話しで、その答えは以下の2つ・・・らしいです。

  1. 人生苦からの救い
  2. 世の中をよくするため

いやー、当たり前のことだからこそ、難しい・・・。

それから、夜に「唱題修行」があったそうです。

2日目は、教務員さんの『縁起観』というお話しで、人と接する時は、すべては自分の気持ちの持ち方で、良い縁になったり、悪い縁になったりする。どうせなら、良い縁をつくる努力をしましょう・・・ということらしい。

信仰は、行学ニ道が必要といいます。ママは、今回「手取りなどの行い」と「練成の学び」が結びついて大変な感動感激があったみたいです。

とにかくパパとしては、やさしくなって帰ってきたママに感謝、ママをやさしくしてくれた練成に感謝感謝!

そして、有難いご法(法華経)にトリプル感謝!!

法華経勉強会 in 9月

今日は、法華経勉強会へ行って、以下の二品を勉強してきました。

陀羅尼品第二十六

陀羅尼品の陀羅尼とは、お釈迦様が説いたものではなく、法華経の説法者を守護するために薬王菩薩、勇施菩薩、毘沙門天王、持国天王、十羅刹女等が、説いたもので、梵語(当時のインド語)の発音のままで、一種の呪文(あに・まに・まね)になっています。

で、ポイントは、法華経の四句偈の一つでも信じることが、なによりも功徳が大きく、 しかし、法華経の説法者を悩ますものには、大変な報いがある(頭がバラバラに裂ける)とのことでした。

とにかく、陀羅尼は、神呪(呪文)で、あらゆる悪をとどめ、あらゆる善をすすめる力をもつ不思議な言葉のことです。

妙荘厳王本事品第二十七

妙荘厳王本事品の妙荘厳王とは、その名の通り王様で、その王様が法華経以外を心酔していましたが、二人の王子とお妃が、その王様を法華経へ導くお話しです。

で、ポイントは、身近な家族の教化の難しさと、指導的立場の人(王様等)の教化の難しさで、それらの人を教化するには、法華経を頭で理解するだけでなく、身を持って示さなければならないということでした。

とにかく、妙荘厳王本事品は、法華経28品中最後から2番目で、なんか法華経の駄目押しって感じがしました。

お彼岸 of 秋

今日は、秋季彼岸会のイベントが某教会でありました。

彼岸とは、簡単にいってしまえば、ご先祖さまとの繋がりの有難さを認識する日のことです。

私は、設営の係で参加をさせてもらいました。実は、この手のイベントの設営レギュラーだったりしますが・・・。設営って、意外と大変なのですが、このことについては、またの機会に・・・。

で、イベントですが、すごく良かったです。

イベントの流れは、以下の順番でした。

親子での奉献

彼岸会で、先祖繋がりと言うことで、親子での奉献がありました。

実は、普段某会にあまりご縁のない私の妹の母娘が奉献をしました。ちゃいちゃんママのお誘い(手取り)で実現しました。また実は、今日が、私と妹の母の丁度命日で、去年7回忌でまる7年が経ちました。

先祖ご供養

先祖ご供養は、法華経の方便品や寿量品などの抜粋を読誦いたしまた。

来賓の挨拶

来賓の挨拶は、イベントの30分前まで、某TVに出演していた某大物政治家とMI市長とMU市長の3氏からありました。

MI市長さんからは、なんと六波羅蜜のお話しを頂いたり、MU市長さんも負けずに結構良い話しをされていました。また、某大物政治家さんは、C.W.ニコルさんとの出会いで、自然と繋がることの大切さをお話しされていました。3氏とも即興ではなく、このイベント用にちゃんと考えてきた挨拶って感じで好感がもてました。

会員の説法

会員の説法は、支部婦人部長さんの説法で、一緒に関わっていた、ある婦人部員さんの友人が、病気を悲観して自殺をしてしまって、そのことを通して、自分は人との関わりがうわべだけで、実は上手く行っていなかったのではないのか・・・。

そして、自分が多摩教区婦人部青梅練成へ参加する日に、お腹が痛くなって、4才の娘が『お母さん、お腹大丈夫』と、お腹をさすりながら心配をしてくれて、青梅練成から帰ってきたときに、自分はすっかりそのことを忘れていたのに、真っ先に娘から『お母さん、お腹大丈夫』と言われ・・・。

この、練成中もずーっと心配をしてくれていた我が子のやさしさに触れた時に、自分には、このやさしさが足りなかったんだ、と気付く・・・。


やさしい子供のいる人には、わかっていただけると思いますが、久々の感動の説法でした。

教会長の法話

教会長さんの法話ですが、いつもユーモア(たまにオヤジギャク)たっぷりで、お彼岸会なのにこんなに笑いをとっていいの・・・、みたいな感じで大変良かったです。また、最近、気がついたことがあるのですが・・・。

教会長さんのお話しって、如来寿量品第十六の世界を、手を変え品を変えて述べているのかなと・・・。

先祖を辿って行くと一つの大いなるものに繋がって、みな兄弟姉妹に。

そして、16番の世界は、すばり、「一つの大いなる永遠のいのち」 = 「仏性」のことみたいです(最近の法華経の勉強でそう思った)。

つまり、人間の本質は仏性で、それは、永遠に生き続け、すべての仏性は繋がっている・・・。

そして、仏性は、自分の心を成長・向上させること(自利)と苦しみ悩む人を救うこと(利他)を望んでいるようだ。

まぁ、理屈で分かってもしょうがないけど、あとは、行動(行)で実感して自分のものにするしかないのかなぁ。

まとめ

とにかく、今回の彼岸会は、挨拶、説法、法話と良い話しが聞けて大変良かったです。特に説法では、久々の感動で・・・。子供って可愛いよなぁ。

仏性に関しての説明はイマイチでしたが、「法華経ノート」次回更新、「如来寿量品第十六」でなんとかしたいと思うこの頃です・・・。ホントになんとかなるのかよ>自分。

おばあちゃん(私の子供達からみて)、今日はどうでしたか、子供達を見守ってくださいね。今日は良い彼岸会でしたね。

懺悔経

今日は、法華経勉強会があり、『佛説観普賢菩薩行法経』を勉強しました。

『佛説観普賢菩薩行法経』は別名『懺悔経』とも呼ばれ、『法華経』ではないのですが、『無量義経』と合わせて、法華三部経の一部を担っています。

また、法華経には、三大菩薩がほどよく登場します。序盤は『智慧の文殊菩薩』、中盤は『慈悲の弥勒菩薩』、終盤は『行徳の普賢菩薩』です。

つまり、法華経の序盤は『十如是』等の法を頭で理解(智慧)することが中心で、中盤から『如来寿量品第十六』等で、法を心(慈悲)で理解することが中心になり、終盤は頭と心で理解した法を如何に実践(行徳)して行くかの『常不軽菩薩、薬王菩薩、観世音菩薩、普賢菩薩』等のお話しになっています。

で、つまるところ懺悔とは、普賢菩薩の行法実践で、六波羅蜜と七戒(不殺生、不偸盗、不邪淫、不妄語、不悪口、不綺語、不両舌)を行い、心(魂)の垢を落とすだけでなく、ピカピカに磨いていくことらしいです。

未来は、一瞬一瞬の積み重ねです。いまこの瞬間こそ、汚れた魂をピカピカに!

感謝パワー

滅多に風邪など引かないのだけれど・・・、昨日から、鼻水、喉の痛み、寒気・・・。

調子が悪いので、薬をのんで、昨日は21時ぐらいに早く寝ました。

そうしたら、なんか変な夢を見ました。

夢の中で、なぜか、家内に『早く寝たので、早く目がさめた』と言い分けをしているのです。

でも、実際に目がさめたのは、いつもと同じ6時です。なんで夢の中までも言い分けをしているんだろうか・・・。

なんてことは、どうでもいい、みなさんも風邪など引かないようにご注意ください。

病気に掛かっても、病気を心配するのではなく、病気が治ってなくても、神様へ、すでに『病気を治して頂いて、感謝します』と、お祈りするのが効果的だと誰かが言っていました。

なんか、本当に効果がありそうな気がします。そう、感謝パワー!


とりあえず、仏教徒なので、仏さまへ

『風邪を治して頂いて、ありがとうございます。感謝致します!』

しかし、まだ、治ってないんだよなぁ・・・。いや、感謝パワー!感謝パワー!治った!治った!

拝む心

Koyappyネタ元日記。より、拝む心。

「相手を拝んでいるときの心こそ、誰に拝まれてもさしつかえない心です。つまり、拝む心こそ拝まれるに値する心なのです。拝むことによって拝まれる資格ができる。拝む心は自分がゼロになった心です。自分がゼロになれば、相手がよくなってしまうのです」

私も心に響きました。

『すべては自分』

突然ですが、ひらめきました。

普通、『すべては自分』は、周りで起きる現象は、よい事もわるい事もすべて自分が縁になって起きるので、自分を内省する言葉として使われます。何処で、某教会で・・・。

しかし、法華経は一乗の教えと言って、すべての命が繋がっていて、生きとし生ける物はすべて兄弟姉妹という教えなのです。たぶん。

ということは、最近、多発している悲しくなるような犯罪も、イラクのテロも『すべては自分』なのです。

逆に言うと、そういう現象は、自分の悪の部分の現れなのだと・・・。

さぁ立ち上ろう、われわれの世界の調和のために『WE ARE THE WORLD!!』。

現代版見宝塔品 ニ仏同座

法華経の見宝塔品には、真理を実践するお釈迦様と真理の象徴である多宝如来が虚空で同座するシーン(ニ仏同座)があります。

現代でも、それを彷彿するシーンがありました。1994年11月第六回WCRP(世界宗教者平和会議)がバチカンで行われた時でした。

ひな壇の一番高い座に席が二つ、一つは教皇ヨハネ・パウロ二世、もう一つは誰が座られるのだろと注目のところ、なんと開祖さまこと庭野日敬氏が導かれて座られたのです。

ここで話しは、29年前にさかのぼります。

1965年9月第二バチカン公会議開会式に出席された、開祖さまは、時の教皇パウロ六世から『キリスト教が分派を生んだのは歴代の教皇の罪です。いまや宗教が分裂しているときではありません。お互いに手を携えてひとつの平和に向かって進むときです』と身近で聞いて、大きな衝撃を受け、宗教協力は可能だと、このお言葉がWCRP活動へと繋がっていきました。

そして、開祖さまは感激のあまり教皇さまへ、カトリックへ改宗してもよいと、おしゃったとか・・・。オイ!

それを聞いた当時佼成新聞記者の某教会長さんは、開祖さまに、仏教徒であるのになぜそのようことをおしゃったのですかと問い詰めると・・・。すると開祖さまは一言。

相手を信じきれなくて、どうして自分を信じてもらえるでしょうか・・・。

このように、開祖さまは、教皇パウロ六世と強い信頼関係を築き、教皇パウロ六世は、1978年8月にご逝去されました。

そして、開祖さまは、1994年11月第六回WCRPでバチカンにつくなり、教皇パウロ六世の地下墓所へ一番先に訪れになりましたが、しかし、そこに行く通路がたまたま工事中で、仕方無く、地下墓所の真上辺りの広場で、地面に額をつけて、教皇パウロ六世を参拝されたそうです。それは、霊界にいる教皇パウロ六世と開祖さまがあたかも何かを語り合っているように感じられたとのことでした。

以上、昨日の『開祖さま生誕会』で、某教会長さんから聞いた開祖さまのエピソードでした。

七仏通戒偈

突然ですが、仏教の教えは、八万四千の法門があると言われますが、実は、元は以下の3つだと言われています。

善い行いをする前に、とにかく悪い行いをしないことが重要らしい、そして、「諸悪莫作」と「衆善奉行」は、道徳とイコールで、宗教では、「自浄其意」が要らしいです。

また、この3つを『七仏通戒偈』と言って、七仏は、お釈迦様から過去へさかのぼった七代の仏を指しており、久遠の昔から連綿と受け継がれてきた『戒め』という深い意味があります。


まとめ

1に悪い事はしない。2に善い事をしなさい。3に心を磨く。

仏教は、このワン・ツウ・スリーです!

そう、仏教って簡単でしょう!

聖徳太子は隠れキリシタン?

12/28にテレビを見ていて偶然途中から見た聖徳太子のドラマ、時空警察『なぜ聖徳太子は暗殺されたか?』。

結構、面白かったです。しかし、聖徳太子が隠れキリシタンだったとか、弥勒菩薩の指の印がキリスト教の三位一体を表しているとか・・・。これは、キリスト系、仏教系の人達から抗議がありそうだと思ったら、やはりありました。

以下は、時空警察ページのBBSで見つけたちょっと気になった書き込みです。

今回の聖徳太子の件で大きな疑問があります。 キリスト教の『愛』の教えによって仏教徒の太子が隠れキリシタンになったというくだりです。 これは仏教徒なら絶対にあり得ない話です。妙法蓮華 経の化城喩品第七、妙音菩薩品第二十四、観世音菩薩普門品第二十五、妙荘厳王本事品第二十七、普賢菩薩勧発品第二十八をお読みになればわかります。 太子は信仰篤い仏教徒で殊に今申し上げた妙法蓮華経の信奉者です。太子は、愛は心を惑わす煩悩であると知っているから愛の教えに従うことはないし、だからといって異教は決して排斥することはない、妙法蓮華経の信奉者であるならば。 隠れキリシタンになったのではなく仏教徒として当然に異教を認めたまでの事なのです。 もうひとつ気になったのは『佛教伝来によって日本が乱れた』というくだり。これもあり得ないことです。ここであまり詳しく説明できませんが、愛は一時的に救うことはできても人々を根本的に救うことはできません。救えるのは慈悲心です。奇跡・偶然・運命、これらすべてを否定する佛教を学べばわかります。

どこが気になったかは、敢えて、ノーコメント。

正論では救えない……。

今日は、某大聖堂での団体参拝で多摩教区F教会の教会長さんの体験説法を聞きました。

人が、失敗をした時とかミスを犯した時に、原因を正論でガンガン諭すと逆効果で、そのような時は、まず、失敗あるいはミスを犯したという後悔の念を汲み取ってあげる(真剣に耳を傾ける)。

そして、その人を救おうなんて考えず、だたしたすら後悔の念を聞いてあげるのです。

するとなぜか、仏さまが救ってくれるらしい……。


ちなみに、教会長クラスの体験説法は、10年ぶりとのことで、貴重な機会をえました。また、会長先生の講話の始めと終わりに、多摩教区のイベントにたまたま出られたとか、今年は斉家成果を出そうなどと同じオヤジギャグを2回も言っていたのが印象的でした。私は、そんな会長先生が好きです。

ブッダの最期

某教会での涅槃会イベント(2/15)の設営係をさせて頂くことになり、今日第1回目の実行委員会がありました。そして、そこで涅槃会の勉強を致しました。

涅槃会とは、ブッダがお亡くなリになられた日で、その日の直前に2つのエピソードがありました。

一つ目は、ほとんど絶望を思われていたブッダが、幸い小康を得られた時に、熱心な信者のチュンダ がご供養した食事の茸に中毒され、ご容体がにわかに悪化し、それを知ったチュンダは、物凄く後悔しました。

しかし、ブッダは『チュンダの供養した食事が、私の最期を早めたからといって、何も悔やむことはありません。私が成道する前に、スジャータという娘が食事を供養してくれましたが、今入滅しようという際のこの食事も、それと同じように大きな功徳があるのです。』とおおせられました。さすが……。

2つ目は、いよいよ寿命が尽きることをお悟りになったブッダのもとへ、スッパダという異教の行者が『真の悟りに至る道』の教えを請いに来ました。

ブッダの弟子達は、ご臨終に近いブッダをわずらわしてはならぬと思い断ると、その押し問答を聞かれたブッダは、『道を聞きに来た人を拒んではなりません。』と『八正道』をお説きになったそうです。そして、スッパダは、そのお言葉に目がさめたようになり、ブッダの最後の弟子になりました。

そして、クシナガラという町の沙羅の木の間に床を用意され、頭を北にし、右脇を下にした形で、お亡くなりになりました(享年80才)。最後のお言葉は、

『あらゆるものは、うつろいやすいものである。怠ることなく精進せよ』

ということでした……。

法華経読誦のすすめ

私は毎日、法華経を読誦しています。法華経は28の章(品)に分かれていて、 一ヶ月で、日に対応する品を一日一品(29日には懺悔経、30,31日は無量義経)を読誦します。 短い品の日は、陀羅尼も読誦します。

普通、お坊さん以外の人にとって、お経というのは、難しい漢字が並んでいて、とてもじゃないけど、読めるもんじゃないと思っています。 と、いうおうか、そんこと考えることすらないと思います。

しかし、読めるようになるには、お経に対してどんなことが記してあるか、読むとどういう功徳があるのかなど、強い興味がないとなりません。 また、人間の適用能力とは、あなどれないもので、結構読めるようになるのですね。ホントに。

私の場合の『強い興味』とは、今年(2006)の1月2日に亡くなった父の介護で大変苦しい時に、藁をも掴む思いで法華経を読誦した経緯があります。

話は変わって、法華経読誦のご利益(功徳)ですが、私の場合は、今のところ、いろいろと運がよくなりました。 日常、何気ないことに、いろいろとお手配(スムーズに事が運ぶ)がつくのです。本当に不思議です。 そして、最大の功徳は、2つありますが、プライベートすぎて、ネットではちょっと公開できません。 でもさわりをちょっと、父の介護で仕事ができず、出向先からクレーム来て・・・リストラ・・・。 2月から新たな出向先になり、長期で仕事が出来そうなのです。実は、ここのところがネットで紹介できないのが残念ですが、凄い奇跡が遭ったのですよ・・・まぁ、そんなところです。

とにかく、法華経読誦は、『我執』を取り払うことができると云われています。 『我執』を取り払うと、真理が何の障害もなく心の底に差込み、染み込んでくるとのことです。

ここで、釈尊がお悟りを得た(成道)ときの一言。

奇なるかな。奇なるかな。一切衆生悉く皆如来の智慧と徳相を具有す。ただ妄想・執着あるを以ってのゆえに証得せず。

つまり、法華経読誦をすると、『我執』取り払うことができ、如来の智慧と徳相が人格に現れるのかなと思う次第です。

最後に、私が毎日読誦している法華経の本をご紹介します。

できれば、ご先祖さまに対して読誦すると、尚、効果的かも!

正しい宗教について

ネットワールドやリアルワールドでもそうなんですが、宗教に入っていると偏見の目で見られ、まぁ、嫌われるわけです。 確かに、オウム真理教などあぶない宗教が多いのは事実です。

しかし、正しい宗教もあるのです。そこで、正しい宗教の見分け方を以下に述べて見ます。

  1. 入会/脱会が自由にできること。
  2. 信仰の対象が、教祖さまでなく、正しい教え(真理)であること。
  3. 一般の人を無理やり勧誘しないこと。
  4. お布施を強要しないこと。
  5. 宗教活動は、ボランティアで、ほとんどの収益はユニセフへ寄付すること。

そう、正しい宗教は、あぶなくないのです。しかし、あぶない宗教の影響で、こちらまで偏見で見られてしまう・・・。

とにかく、身をもって示すしか道はないのですが・・・。

とりあえず、私の入会している某会は、上記を守っていますので、嫌わないでくださいね!

江原さんの神通力

仏道を修行していると、2次的にいつのまにか会得するという6個の神通力(六通)があります。

また、生まれつきそのような神通力を持ち合わせている人もいるようです。 たぶん、そのような人は、前世で仏道の修行をしたのかも知れません。

で、今話題の『オーラの泉』でおなじみの江原さんは、まさに六通を持ち合わせています。

私が知る限り、江原さんほどの神通力をお持ちの方は、見たことがありません。

その江原さんがテレビで発言される内容と法華経に記されている内容がほとんど一致していて、 江原さんの言うことを聞くと、そうだな、そうだな、と納得のいく快さがあり、欠かさず『オーラの泉』を見ています。

しかし、世の中には、このようなことを全否定する人が結構沢山います。

確かに今の科学では、証明されていないし、疑い深い人は、インチキだと思っていることでしょう・・・。

でも、私は本当だと信じます。

なぜかと言うと、たとえば、江原さんの言うことが真実だとすると、自分が亡くなった時に、 霊体として、やはり霊界が在ったのだと納得ができるし、万が一、インチキだった時は、 霊的なものが全くないのだから、インチキだと知るすべがなく、ある意味幸せなのです。

だから、信じた方が得なのです。とにかく、ご先祖さまの霊も沢山いるわけで、 ご先祖さまの霊にも助けてもらって、今世で幸せになりましょう。

たぶん、信じきれば、ご先祖さまの霊も、神さまも、仏さまも、存在するわけですから、きっと応援してくれるはずなのです。

ですので、これからは、神仏とご先祖さまの霊を信じきって生きていこうと思います。

無量義経:第一の功徳不思議の力とは?

法華経の開経と云われる無量義経を読んで、無量義を会得すれば、以下の功徳が得られると云う。

  1. 自分の考えだけで生きていると思っている者には、仏さまに生かされるという心を起こさしめ。
  2. 自分の幸福だけしか考えない者には、他人を幸せにしてあげたいという心を起こさしめ。
  3. 平気で殺生したり、人を苦しめる者には、人を助けたいという、すべてのものを慈しむ心を起こさしめ。
  4. 嫉妬を生ずる者には、随喜の心を起こさしめ。
  5. 財産や地位に執着する者には、執着を捨てる心を起こさしめ。
  6. いつも欲深い者には、人に施す心を起こさしめ。
  7. 自分は偉い、間違いないと奢り高ぶる者には、謙虚な心を起こさしめ。
  8. すぐに腹を立てたり、人を恨む者には、何かされても耐え忍ぶ心を起こさしめ。
  9. 怠けぐせのある者には、一生懸命に努力する心を起こさしめ。
  10. 変化があるとすぐグラグラ心が乱れる者には、現象に惑わされない静かな安定した心を起こさしめ。
  11. 目の前の出来事にすぐ愚痴をいう者には、智慧のある心を起こさしめ。
  12. 人を救ってあげたいと思わないものには、人を救ってあげたいと思う心を起こさしめ。
  13. 十悪を行う者には、十善の心を起こさしめ。
  14. 何事も自分中心に考える者には、自然に自分中心に考えない心を起こさしめ。
  15. いつも後ろ向きに考える者には、つねに前向きに考える心を起こさしめ。
  16. 煩悩に基づいて行動してしまう者には、煩悩から離れる心を起こさしめ。
  17. 煩悩が大変多い者には、煩悩を取り除く心を起こさしむ。

心がけの善い皆さん、これをこの経の第一の功徳、不思議の力と云います。

あと、これとは別に、第二の功徳から第十の功徳があると云う。

さて、それらは、どんな功徳でしょうか・・・・・・。

とりあえず、無量義経をコンテンツに加える前振りでした。

法華経の実践とは?

法華経は、実践の書と云われています。

では、法華経のを実践するのですか・・・と問われた時に、即座に答えられないのです。 いや〜、盲点でした。

確かに法華経はドラマ仕立てになっていて、いろいろありすぎて、決定的な実践すべきことが、即座に分からないのです。

ですが、とりあえず、思いつくまま述べてみると・・・。

  1. 四諦,八正道,六波羅蜜の流れの実践。(布施と正しい行い)
  2. 法師品での、五種法師の実践。(法華経の受持・読・誦・解説・書写)
  3. 安楽行品での、四安楽行の実践。(法華経を護持し説き広める心がけ)
  4. 常不軽菩薩品での、仏性礼拝行の実践。(アメニモマケズ、カゼニモマケズ、徹底した礼拝行)

1は、法華経というより、根本仏教の教えで、初転法輪のときに説法された、仏教の基本中の基本です。

上記を踏まえて、私が、思いついた法華経の実践とは、以下の通りです。

仏教の基本である八正道六波羅蜜を実践しながら、法華経を読誦し解説書写し、
四安楽行を心がけて、相手の仏性を礼拝しながら、法華経を説き広める。

上記を実践すれば、『諸法実相(十如是)』『永遠の命』『六通』を会得できるのかなと思う次第です。

そして、以下の実践の功徳があるとのことです。(in 安楽行品)

これは、もう、実践するしかないですね!

では、また!

人生の地図

つい先日、初めて江原さんの本を買いました。タイトルは『スピリチュアルな人生に目覚めるために』です。 サブタイトルが『心に「人生の地図」を持つ』です。

江原さんの本は、表紙の雰囲気が女性をターゲットにしたような感じが多い中、この本は、普通なので男性の方もどうぞ!

で、読書後の感想ですが、ずばり、法華経そのものですね。いや、ホントに!

たとえば、

不幸とは、人間の本質は永遠に生きる霊的存在であることを忘れ、 自分の肉体だけの存在だと思い込んでいるために生じている悩みなのです。

すべての魂は、みな同じ大霊の子、神の子どもなのです。

どうですか、釈尊の悟り、法華経そのものですね!

そして、江原さんは、より良く生きるためには、心に「人生の地図」を持ちなさいと勧められています。

それには、以下の法則を知ることが必要とのことです。

以上の法則を地図のように上手く使って、魂を向上させ、人生を航路していけば幸せになれるとのことです。

とにかく、『霊魂』、『守護霊』、『あの世』がごく自然に当たり前に語られていて、快い本です。

あの世

江原さんの『スピリチュアルな人生に目覚めるために』の本に、魂が死後にたどる道筋についての説明がありましたので、ご紹介します。

人間は死とともに肉体という殻を脱ぎ、幽体とよばれる霊的なエネルギーに移行します。 そして、「現界」すなわち私達が生きるこの世界と、霊的世界の中間にある、「幽現界」へ行きます。 一般に「死後49日はこの世界にいる」と言われていますが、それは現界に留まっているということではなく、 「幽現界」にいるという意味です。 その後、魂は「幽界」へ向かいます。この「幽界」の中にも、さらに無数の層に分かれています。 霊格が高いほど高い層、低いほど低い層へいくことになります。

魂はやがて、この「幽界」をも離れて「霊界」へと上昇します。 このとき、魂はみずからの姿を形作っている「幽体」さえも脱ぎ捨てるため、この過程は「第2の死」と呼ばれています。

「霊界」へ行くと、魂はみずからの類魂に帰結します。類魂と溶け合い、その一部分となるのです。 そこからまた、「現界」で学び足らなかった部分を振り返り、多くの場合、もう一度学び直そうと決意を固め、「再生」します。 こうして魂は、「再生」と「帰結」を繰り返し、最終的には大いなる光のエネルギー、大霊(グレートスピリット)へと融合する「神界」へ向かうのです。

江原さんを信ずる者としては、当然、そうだろうと思う私がいます。

そして、大霊へと融合するは、法華経の大テーマ『仏になる』と同じように思えます。やはり、本物や!

悪魔の部屋

みなさんは、決して開けてはならない「悪魔の部屋」をご存知でしょうか?

某小誌にヘルパー養成講師でエッセイストの、認知症介護についてのエッセイの中に載っていた「悪魔の部屋」です。

ある日、認知症の母親を介護している知人から、このエッセイストに「母親を殺してしまいそう!」と電話が掛かってきました。

そのとき、エッセイストは、すかさず、「わかった、今、ロープをもって手伝いに行く」と言ったら、 受話器の向こうから大きなため息と「ありがとう、気持ちが少し落ち着いた」という言葉が返ってきたという。

普通の人なら、励ましの定番「頑張って」と言ってしまうかもしれません。しかし、介護を究極に頑張っている人には、 無意味というより、逆に本当に殺しかねません。

介護は本当に大変です。これは、経験してみないと分からない大変さなのです。

このエッセイストは、「心の中に悪魔の部屋を持っていい」と言っています。

悪魔の部屋に「ぽっくり、逝ってくれないか」「どこかに行ってしまえばいいのに」を閉じ込めるのです。

自分がやさしい人だと思っている人ほど、介護される人を憎んだりすることを悪いことだと考えてしまい、ストレスになってしまうのです。

いいんです。悪いことを考えても、ただし、決して開けてはならない悪魔の部屋の中にだけ・・・。

介護と「悪魔の部屋」の葛藤の積み重ねが、死を大きく包み込み(私達、頑張ったわよね)と思える、 そして、それまでマイナスだと思っていた感情が、大きな愛に変わるのです。

今まさに、介護に疲れた人に、以下のお言葉を捧げます。

あなたが乗り越えられないような苦労を、神仏はけっして与えられません。
それは、あなたがそれに耐えて成長していける人だから与えられる試練です。
いつの日か「あのときの悲しみ、あのときの苦しみのお陰で、いまの私がある」
と思えるときが必ずくるものです。  By 庭野日敬

実は、私も今年の初めに父が亡くなり、それまでの約4ヶ月間、父の介護で本当に大変な思いをしました。

私も「悪魔の部屋」に助けられたのです。また、本当にどうしようもないとき、神仏が助けてくれるを・・・実感しました。

どうか、「悪魔の部屋」で気持ちを切り替えて、辛い現実を乗り越えてください。

複数の一神教(パレスチナ問題の歴史)

ご存知のように、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教(古い順)は一神教で、しかも兄弟宗教と言われることもあります。

それは、三者共に旧約聖書を聖典としており、旧約聖書に出てくる大天使ガブリエルがキリスト教誕生、 イスラム教誕生に大変深く関わったとされているからです。

仏教徒から見ると複数の一神教のそれぞれの神は、仏教でいう法身の釈迦とイコールだな、と思えてならないのですが。 ということは、仏教とも兄弟宗教なのかもしれないな、とか。

とまぁ、このことはちょっと置いといて、今回はパレスチナ問題の歴史を少し・・・。

・・・パレスチナあるいはイスラエル方面にあるエルサレムは、ご存知のようにユダヤ教、キリスト教、イスラム教の三者共通の聖地です。

紀元前1000年ごろ古代イスラエルのダビデ王がエルサレムを首都としたが、紀元70年にローマ軍に占領され、 紀元313年にキリスト教の聖地として再建されました。 そして、7世紀に入ると今度はイスラム教がソロモン神殿の跡地に岩のドームを建てイスラム教の聖地となりました。

その後、エルサレム奪回をすべくキリスト教は十字軍を7回も送りますが、結局、奪回できず。 現代になり、第一次世界大戦中のイギリスの2枚舌外交であるバルフォア宣言よって、 アラブ人とユダヤ人両方の国家が設立することになりました。 しかし、しばらくは、イギリスが委任統治をしていました。

ところが、第二次世界大戦後、ホロスコープ等で世界中からユダヤ人に同情が集まり、 1948年にパレスチナにアラブの許可なしにイスラエルを設立してしまったのです。 当然、アラブは反発し、国連はパレスチナ分割案を実施しようとしましたが、 それより早く、第一次中東戦争が勃発しました。

第一次中東戦争は、戦力的にはアラブの方が圧倒的に大きかったのですが、退路を断たれたユダヤが恐るべき強さを発揮し圧勝しました。 それにより、ユダヤは分割案よりはるかに広い領土を取得しましたが、アラブは100万人のパレスチナ難民を生みました。

第一次中東戦争後、エジプト革命が起こり、ソ連を後ろ盾にしてイギリスを追い出したエジプトは、 スエズ運河の国有化を宣言すると、今度は、スエズ運河の利権をめぐってイギリスとフランスとイスラエルがエジプトを攻め、 第二次中東戦争が勃発しました。しかし、世界中から非難を受けた3カ国は撤退し、エジプトは一躍アラブの英雄となり、 その勢いでPLO(パレスチナ解放機構)の設立に力を尽くしました。

第三次中東戦争は、イスラエルがゴラン高原に入植地を建設しはじめたことにより、アラブ諸国が不穏な動きをし、 それを察知したイスラエルが先制攻撃を行い、わずか6日でパレスチナ全土を手中に収めました。 それにより、また大量のパレスチナ難民が発生し、PLOの影響力は大きくなりました。

第四次中東戦争は、エジプトとシリアがイスラエルを挟み撃ちする形ではじまり、 エジプトがシナイ半島、シリアがゴラン高原の一部を取り戻し、アラブが有利な形に終わりました。 また、つい最近(2006/09)も、イスラエルがレバノンを不意打ちし、幼い子供が何人も亡くなったニュースが伝わってきて、 胸が痛くなる思いになりました。

とにかく、私は、パレスチナ問題をほとんど知らなかったのですが、以下の本が分かり易くまとめてあったのでご紹介いたしました。

なんとか、アラブの神の力とイスラエルの神の力で、戦争のないパレスチナを実現して欲しいと思います。

民族間の憎しみや、宗教間のいがみ合い、それを煽る死の商人、世界的な宗教や紛争の問題って大変難しい・・・・・・。

一つの地球、一つの地球人、一つの地球宗教なのに、なんで殺しあう・・・・・・。

秋のお彼岸会

今日(2006/9/18)、某教会で一足早く「秋のお彼岸会」がありました。 私も、戒名読み上げの役で行きました。 若いきれいな文書担当のお母さんの説法が、心に響きましたので、ご紹介いたします。

このお母さんには、まだ幼い娘さんがいます。 娘さんを出産する前は、カウンセリングの資格をとるために頑張っていましたが、 妊娠中のつわりがつよく、カウンセリングの資格を断念しました。しかし、かわいい娘さんを得たのです。

娘さんが少し手が離れ、某会のお役も出来て、念願のカウンセリングの再勉強も始めようとした矢先、2人目を妊娠してしまったのです。 しかし、すぐ流産してしまいました。まだ、妊娠してすぐだったので、子供を流産したという実感がなく、悲しみはありませんでした。 また、今回の流産が、どういう意味があるのか、求道しても答えはみつかりませんでした。

そんな中、戒名室に戒名を頂きに行って、戒名を渡された時、戒名の重さに驚き、あふれ出る涙と悲しみに押し潰されてしまいました。 生まれてきたくてもこれない命、だからこそ、今頂いている命の大切に気づかされたとのことでした。 また、ご供養してもらいたい、ご先祖様がいて、このような現象を起こしたのかな、とも思ったそうです。

とにかく、私は、年に3度(お盆、春、秋彼岸)のこの時期に、命のルーツ10代までさかのぼると1024人のご先祖様達、 誰一人かけても、自分が存在しなかった奇跡を思うと、今頂いている大切な命への感謝、 そして、命のルーツへの感謝、この感謝をまずは人様(とりあえず、家族)へ回向していきたいと思う今日この頃なのです(合掌)。

供養とは何か?

家内(ママ)からご仏壇(ご宝前)に、毎朝、必ずお水とお茶を上げてね・・・と言われて、 始めのうちは、いやいやながらでしたが、今では習慣になってしまいました。 当然、寝る前にはそれを下げるのも私です。

このような行いを仏教では、「利供養」といい、 本来、仏さまに対する帰依と感謝の心を表す行為なのです。

私の場合は、そんなこと知らずに、家内から半強制にやらされましたが、 結果的にそういうことだったのです。

供養こと「仏さまに対する帰依と感謝の心を表す行為」は、 「利供養」とは別に「敬供養」「行供養」があります。

自分で言うものアレだけど、結構、供養している。 でも、供養が「仏さまに対する帰依と感謝の心を表す行為」と言われると、ちょっと意外。

しかしだんだん、自分にも信仰心が芽生えてきていると自覚しはじめている今日この頃です。かつては、大嫌いだったのに。

宗教嫌いのあなたへ、神(仏)にすべておまかせする生き方もいいものですよ、とか言ってみるテスト。

ちなみに、仏さまとは、私の場合は、み仏さま(釈尊)、開祖さま、会長先生(生き仏)、ちゃいちゃん、ご先祖さまの総称かな・・・。

教えの流れ

無量義経の十功徳品で、大荘厳という菩薩が世尊(釈尊)に3つの質問をします。

  1. この経典は、いずれの所よりか来たのですか?
  2. 去って、いずれの所にか至るのですか?
  3. とどまって、いずれの所に住するのですか?

世尊は、この質問を褒め称え、以下のようにお答えになりました。

  1. この経典は、本諸仏の室宅の中より来たり。
  2. 去って、一切衆生の発菩提心に至り。
  3. とどまって、諸々の菩薩所行の所に住する。

分かり易く言うと、この教えは、宇宙の万物を生かす仏の心の奥にある真実の慈悲からあふれ出たものですべての人がこの法を知ることによって最高無上の悟りを得る智慧に至り菩薩行の実践(行徳)の中に存在する

・・・ここにも、法華経のキーワード、「慈悲」「智慧」「行徳」が顔を出しました・・・。

挨拶

今日(10/01)、某サテライト放送でバングラディッシュの某会会員の婦人の人が、 某会3つの実践のひとつである挨拶行の実践体験を述べられていました。

毎朝、息子に挨拶していても、息子は全くの無反応だったのですが、それでも、めげずに挨拶をしていると、 ある日、息子の方から挨拶をしてきたとのことでした。 その時、婦人は、言葉では言い表せない感動を心に感じたとのことでした。 そして、改めて某会の教えの素晴らしさを実感し、このご法を広めていきたいと決意されたとのことでした。

これ見ていた時、私も同じ経験がありましたので、思わず、感動してしまい、不覚にも涙してしまいました。

ちなみに、某会3つの実践とは

  1. 呼ばれたら返事は、ハイ!
  2. 朝の挨拶、おはよう!
  3. 脱いだ靴は、そろえるよ!

です。

ごく当たり前のことだからこそ、実践するのが難しい。しかも、海外のバングラディッシュまで届いている・・・素晴らしい!

人を救えるお経とは?

よく初期の経典以外、つまり大乗経典は、釈尊が説いたものではなく、弟子達が適当に作り上げたもので、 信じるに値しないと言う人がいます。 確かに、法華経も仏滅後500年以上経って作成されたものとされています。

しかし、はっきり言ってしまえば、現代の人にとって、釈尊が説いたかどうかが問題でなく、 釈迦が説いたであろう教え、あるいは、優れた仏弟子が説いた教えで、救われるかどうかが問題だと思うのです。

逆説的にいえば、本当に人を救える教え(経典)しか生き残れないのだと思う次第です。 今残っている日本の仏教を見てみますと、圧倒的に日蓮系(法華経)と浄土系(南無阿弥陀仏)で、どちらも大乗仏教です。

たとえ、どんなに良い経典でも、人に読んでもらえなければ、無いのと同じです。 つまり、沢山の人に読まれている大乗仏教(法華経等)は、人を救えるお経なのだと思う次第です。

少欲知足

先日の燈明日記に、「腹八分目」を書きましたが、腹八分目とは、ある意味、 少しだけ食べて、足りることを知ることです。そう、少欲知足です。

実は、少欲知足という言葉は、法華経の28番に出てくるのです。 つまり、少なくとも今から約2000年(紀元)前からある言葉なのです。 意味は、読んで字の如くです。

現代は、乱獲飽食エネルギー大量消費の時代になって持続不可能な世界になりつつあります。 (温室効果、オゾン層破壊、異常気象、森林伐採、資源枯渇・・・) 一日も早く持続可能な世界に戻さなければ、なりません。 それには、少欲知足がキーワードになるような気がするのです。

とにかく、一人ひとりが、一日も早く、乱獲飽食エネルギー大量消費をやめ、少欲知足に目覚めて、環境にやさしい生き方をして欲しい(もちろん自戒を込めて)。 このままでは、次世代(子供、孫達・・・)につけが沢山まわって、大変な苦労を負わせることになってしまう・・・。

ちなみに、少欲知足は小欲知足と勘違いし易いですね。あくまでも少欲知足です。 逆に言うと、多い欲は良くなくて、持続可能な世界を実現させる大きな欲はいいのかも・・・です。

器量と布施と徳積

人には、人格やリーダーシップ等の器量というものがあります。 器量が小さいと、その人の人生も、小さなものになってしまいます。 これは、大きなチャンスが来たときに、小さな器だと受け取れないから、そうなってしまうのです。

では、器を大きくするためには、どうしたらよいでしょうか?

それには、2つ。

  1. すでに入っているものを出して、器の容量を増やす。
  2. やはり、器そのものをなんとか大きくする。

1は、布施です。自分の持っているもの(財施、身施、法施)を出して人に施し、自分の器の容量を増やすのです。

2は、徳積です。仏法では、善い行いを続けて行くことを徳積と云い、これにより器が大きくなると説かれています。

つまり、普段から布施と徳積を行うことにより、器の容量が多くなり、大きなチャンスが来た時にそれを受け止められるようになるのです。 また、仏法では、因縁果報の法則より、善い行いをすれば、必ず善い結果が生じると説かれています。

そう、必ず善い結果なのです。だから、もう、布施と徳積を日々実践するしかないですね。誰にともなく……。

布施と徳積

前回、『器量と布施と徳積』をお話しましたが、今回は布施と徳積についての補足です。

布施とは、以下のように3種類あります。

  1. 財施 - 金銭や物質を他人に施し与えること。
  2. 身施 - 自分の骨折りによって他人の心配や苦労を少なくしたり、喜びを与えること。
  3. 法施 - 正しくものごとを他人に教え与えること。

貧乏で財施はできなくても、身施、法施は、出来そうですね!

つぎは、徳積です。

徳積の『徳』という字は、行ずるの行人偏に十四の心と書きます。

十四の心とは、六波羅蜜八正道を足した数の心です。 そして、十四の心を積んで行くことが徳積なのです(ウマイ)。

聖堂団参

聖堂とは、東京都杉並区の某会大聖堂で、団参とは、団体参拝の略です。 とりあえず、私は、某会会員ですので、年に1、2回は大聖堂参りを致します。 今回は、開祖生誕100年 記念参拝でリニューアルされた大聖堂を見て参りました。

まず、読経(法華経)供養のあと次期会長の光祥先生から以下のお言葉がありました。

某会の教えは、親孝行と先祖供養です。 しかし、親孝行をすれば救われるのでなく、親孝行しようとする心になれた事こそ救われなのです。

なるほど、良いこと言う・・・。

つぎの映画鑑賞「開祖さまの証」では、開祖さまから以下のお言葉がありました。

信仰をしていも、良いことばかりでない。 しかし、今こうして、法華経を頂いている事自体がすでに大変な功徳なのです。

なるほど、良いこと言う・・・。

また、つぎは「開祖さまと私」という、開祖さまの秘書をしていた次長研修を受講し、それは以下のような内容でした。

開祖さまの3つの実践

1は、秘書の次長さんは、何年も一緒に開祖さまのお側にいて、一度も怒られた(叱責)ことは無いそうです。  自分では、絶対に怒らると思うミスをした時も、怒られず、逆に励まされたとのことです。

2は、救いを求める信者さんの前で説法するために、90歳を過ぎてもリハビリを一生懸命に行っていたとのことでした。

3は、WCRPで海外の宗教者から『あなたは、なぜ、このような活動をされるのですか』と質問されたときに、開祖さまは、『仏さまから、宗教協力なくして世界平和はない、人類の平和の使徒となれ』と云うお役を頂いて、真心からありのまま素直に実践されたとのことでした。

ちなみに、開祖さまとは、某会初代会長 庭野日敬師その人です。

お茶のエピソード

前回、開祖さまの以下のような3つの実践をご紹介致しました。

これを裏付けるエピソードがありますのでご紹介します。 某会では結構有名なエピソードです。

開祖さまが信者さんからお茶をご馳走になったときに、開祖さまは、湯呑みの蓋をあけ、飲み干し、大変美味しかったのでもう一杯もらえますか・・・と、おかわりをされました。

そして、おかわりを入れようとした信者さんが、湯呑みの中をみると、お茶が入っていた形跡がなかったのです。

つまり、信者さんは緊張していてミスで、空のお茶をご馳走してしまったのでした。

しかし、3つの実践をしている信者さん第一の開祖さまは、そのことを叱責することなく、真心、ありのまま素直に、自分(お茶が飲める)も信者さん(ミスが表に出ない)も幸せにしたのです。

信仰とは

今日、某教会で三鷹市教育委員会の委員長さんの講演会があり、久しぶりに行って参りました。

そして、先日、お話しした開祖さまのお言葉をちゃんとメモして参りました。

信仰とは、何事も起こらぬ平穏無事を願うものではなく、
人生は次ぎから次ぎへ問題が起こってくるものと覚悟して、
それに立ち向かい、乗越えられる力をつけるためのものなのです。

なぜか、今、このお言葉が、心にすーっと入ってくるんですね。

大切な子供を育てる4つの『離さず』

で、教育委員長さんのお話しですが、三鷹市では、全国に先駆けて、近い地域の小学校と中学校を一緒にして、生徒だけでなく先生の交流も深め、かつ、地域の父兄にボランティアで参加していただき、地域毎にコミュニティを作って、地域全体で生徒を教育して行く方針とのことでした。

また、教育は学校任せでなく、以下のように愛情をもって育て欲しいとのことでした。

なかなか、上手いこと言う。

ウチなんか、まさにそうやって育てたな。だから、みんないい子なんだ。すまん親バカでした。

すべての幸福は、感謝の気持ちがつくる

今、とある本を読んでいます。そこに書いてあった、私にとって耳の痛いメッセージです。

だから、孤独で貧乏なんや…。感謝しないと!

とある本は、追って感想文を書きますね!

そうじ力

三笠書房から出ている『そうじ力』(著者:舛田光洋)を読み終えました。

感想を一言で云えば、素晴らしいの一言です。

なにが素晴らしいって、そりゃ単なるそうじのノウハウ本でなく、ある意味、はっきり云って良質の宗教本だと思うからです。

というか、逆にトンデモ本だと決め付ける人もいるかもしれません。それは……。

内容を一言で云えば、『そうじをすれば、幸せになれる』です。

そう、見えない世界を前提にしているのです。

法華経信者の私には、そうじが法華経でいう実践行そのものだと受け止めさせてもらいました。

そうじで、家がきれいになるは、家と自分の魂がきれいになることだと思いました。

そして、著者は、以下のようにおしゃっています。

『すべての幸福は、感謝の気持ちがつくるのです。』

このお言葉、私の魂に響きました。私も本当にそう思います。

いや、良い本にめぐり会いました。

また、プログラマの私には、そうじの整理整頓は、スパゲティソースの整理整頓に通じるところがあり、そうじと同じく幸せに(プログラマ以外は謎)になれるのです。

実は、この本の冒頭に、うつ病の妻のエピソードがあり、それがきっかけでこの本を買いました。

うちの妻も、なんとかこの本でよくなってくれると有り難いのですが……。

私が編み出したワンツウスリー

先日、ご紹介した『そうじ力』の本に書いてあった心に残ったフレーズをリストしときます。

で、私が編み出した幸福へのワンツウスリーです。

この三力を実践して、幸福になりたいと思います!

一番の供養

亡くなった人への一番の供養は、自分がしっかりと生き抜くこと

そして、亡くなった人へ心配を掛けないこと。

お墓参りは、後悔の祈り参りではなく、ましてや幸福のお願い参りではなく、しっかり生きていることの報告参り

いつまでも、下を向いていては、亡くなった人が心配して上に逝ってくれないよ……。

実は今日、江原さんの番組をたまたま拝見して、同じことを言っていました。



ちゃいちゃん、パパは、あらためて、しっかりと生きるよ!

ママもしっかりと生きるように応援してね……。

御親教

今日(2007/01/06)は、某教会で御親教というイベントがあり、いろいろ善い話を聞いてきましたのでここにメモしておきます。

とにかく、自らを信じて、すべてのことにあたる。

そして、感謝して、すべてのことにあたる。

そう、『自信』と『感謝』の2本柱で今年は乗り切って行こうと思います。

しかし、御親教ってどういう意味だ?

人の死にかたは、その人の生きかたが表れる

1月2日にとある知り合いのお婆さんが亡くなりなした。

このお婆さんは、某会の教えを大変実行した方で、お子さんは教会長までしています。

元旦に親戚がみんな集まり、子供や孫、ひ孫達との団欒後、その日の夕方に気分が悪くなって、あくる日に、大きく息をしたあと急死したとのことです。

元旦までは、お元気だったとのことです。

急死ということで、大変驚きがあったのですが、ある意味、まわりに全く迷惑を掛けずに、親戚全員に見守られながら亡くなったのです。

実は、去年の同じ日の1月2日に私の父が亡くなりました。それはそれは、亡くなるまで大変でした。

『人の死にかたは、その人の生きかたが表れる。』という言葉、まさに真実です。実感をもって聞きました。

私は、父を反面教師にして、ワガママをせず、周りに迷惑をかけないように(特に子供達へ)、

良い死にかたができるように生きていこうと思います。

導師デビュー

昨日(2007/01/06)は、寒修行:法華経9番『授学無学人記品』の導師のお役を無事果たすことが出来ました。

最低3ッ個所は、噛んでしまいましたが、バックに助けれて、気持ち良く読誦することが出来ました。

本番直前は緊張で、頭が真っ白になってしまって、全く読めなくなってしまう不安がよぎり……。

しかし、バックに助けれながら、流れるように、本当に気持ち良く読誦することが出来ました。よかったよかった。

導師なので自分が引っ張らなくては…、という気持ちを途中で捨てて、バックの皆さんと一緒にと思った瞬間から、なぜか、凄く気持ちよく読誦ができました。やはり、ハーモニーが大切なのだなと改めて思いました(合掌)。

ハイスピード読誦

ここのところ、訳あって、法華経(三部経)を毎日読誦しています。

昔は、つっかえつっかえでしたが、今は、ダーッって感じでハイスピードで読誦している自分に驚いています。


読誦のお陰さまか、なぜか、運がよくなりました。

そういえば、前も、同じことがあったな……。


これは、体験からいえることで、経力って、確かにありますね。

まぁ、普通の人には、理解してもらえないと思いますが…。


とりあえず、当分、法華経ハイスピード読誦です!

完璧なんてない…だからこそ…

完璧な人なんていない。

完璧な会社なんてない。

完璧なプログラムなんて作れない。


だからこそ、完璧を目指すことに成長があるのだと思う。

あまえてちゃ、成長できない。そう、あまえてちゃ……。


どん底から這い上がれ、失敗を恐れずに、正直に、そして、すべてに感謝して、自分を信じて。

心のヨロイをはずす

とある小誌からの抜粋

思い切って心のヨロイをはずし、あるがままの自分をまわりの人にさらけだしてみませんか?

完璧な人など一人もいません。ありのままのあなたのほうが、魅力的に見えるのではないでしょうか。

そう、ありのままでいいんです。

そう、完璧な人など一人もいないのです。

因縁果報

因縁果報
良いことをすれば、良い縁にふれて、良い結果になり、良い報いが来る。
良くないことをすれば、良くない縁にふれて、良くない結果になり、良くない報いが来る。

これ真理なり!

良いことをさぼりすぎたみたいだ…。

気がつくのが遅かった(謎)。


というわけで、法華三昧に入ります……。

とにかく、すべてのことに感謝して、自分を信じて、そして、反省内省……。


まだ、立ち止まることは出来ません……。

原因は、外ではなく、実は内だった

失敗したり、嫌なことがあると、普通、人は、外に原因を求めます。

そして、それらしき原因をみつけ、取り除こうとします。

でも、なかなか上手く行きません。


そうなんです。それは、真の原因じゃないからなのです。

真の原因は、実は自分だと云う事に気がつくと、解決の道がひらけるのです。

 

                        By ちゃいちゃんパパ

三徳を得る

三徳は、いろいろありますが、ここでの三徳とは、福・禄・寿の3つとします。

  1. 福とは、人格、品性、人間関係等です。
  2. 禄とは、物質、財産、地位、名誉等です。
  3. 寿とは、健康、活力、生き甲斐等です。

では、三徳を得るためには、どうしたらよいでしょうか?

実は逆を考えると、逆の逆が見えてくる。

そう、六波羅蜜(ろくはらみつ)の実践でしか、三徳を得られないのです。

『法華経の新しい解釈』の感想文

今年(2006年)の初めに、父が亡くなりました。

去年(2005年)の10月頃から、父の介護で、それはそれは大変な毎日の連続でした。

丁度その頃から、なぜか家では三部経を読誦し、通勤では『法華経の新しい解釈』を読む毎日が続きました。


すると辛い毎日の中、いろいろとお手配がつくようになったのです。

また、父の介護に限界がきた時にも、三部経を読誦していると心が癒されました。

それは、まさに祖母の代から三代続くご法の功徳だったのかも知れません。


さて、『法華経の新しい解釈』を読んで感じたことは、映画のようなストーリー性と映像イメージがあったことです。


はじめに人間と人間以外の沢山のギャラリー(信者達)の中で、釈尊の沈黙からスタートし、額から光を放ち、舎利弗との三止三請により、究極の真理をお説きになり始めます。


そして、究極の真理とは、八正道と六波羅蜜を実践した良因に基く『縁起と輪廻』の法則だと受け止めさせて頂きました。


人は、良因を積むことで、宇宙の調和と共振し、いつでもどこにでも、法身の釈迦を見ること、感じることが出来るようになる。


すべての人の魂は、永遠の命で、何度も何度も生まれ変わっては、良因を積むことにより、その縁起で仏になっていくことができる。


つまり、仏になっていくこと、言い換えれば法華経の実践こそが、宇宙の調和であり、世界平和実現の礎になるのかな、と思わせていただきました。


このように教えも素晴らしいのですが、法華経には、釈尊以外にも魅力的な人物が沢山登場します。

舎利弗をはじめとする十大弟子、文殊・普賢・弥勒・観音・上行等の菩薩、多宝・阿弥陀・燃燈等の仏様。


私は、その中でも特に常不軽菩薩の生き方に感銘を受けました。

人に馬鹿にされたり、迫害を受けたりしても、決してその人たちを恨まず、ただひたすら、その人たちの仏性を拝む菩薩。

そう、すべての人には仏性(良因)があり、良縁に触れれば、だれでも仏になることが出来る。


私は、会社でも意識的に相手の仏性を拝んで、挨拶をしています。無視する人にも、しない人にも。


すると、周りの人が、なにかと親切にしてくれるのです。これは、単なる気のせいでしょいうか・・・。

いえいえ、これこそが法華経実践の功徳なのだと確信する毎日になっています。

これからも、法華経を実践して、人さまと共に幸せになりたいと思います。


しかし、50歳を過ぎ、いつリストラされるかわからない不安、また、働いても働いてもなぜか貧乏で辛い毎日、本当に法華経の実践で幸せになれるか、まだまだ心配で心細い毎日の連続ですが、『法華経の新しい解釈』で理解を深め、法華経の読誦と実践で、なんとか乗り越えていけるかな、と思えるようになって参りました。


法華経よ・・・南無妙法蓮華経。


(本部では、ボツでしたが、教会では、出会い賞を頂きました。)

春季彼岸会

今日、某教会で春の彼岸会がありました。

(ちなみに、彼岸とは http://chaichan.lolipop.jp/chai/hokke_note.htm#d32271

その中で、ビデオ上映があり、オープニングは『千の風になって』でした。

私のお墓の前で 泣かないでください

そこに私はいません 眠ってなんかいません

千の風に 千の風になって

あの大きな空を 吹きわたっています

確か、江原さんも同じようなことをおしゃっていましたね。私もそう思います。


実は、この歌、今回はじめて知りました。聞いた時、ちゃいちゃんのことを重ねてしまいました。

分かっていても、今は、泣きませんが、当時良く泣きました……。


つぎに、とある尼さんの説法がありました。

いろいろ良いお話しを聞くことができました。その中でも四馬(しめ)というお話しが心に残りました。

そのお話しと同じものを以下のサイトで見つけましたのでご紹介致します。

「第一の最高の名馬は、ムチの影を見ただけで走り出す。第二のいい馬は、ムチで打たれて走り出す。第三の普通の馬は、ムチで打たれ、皮が破れ血が出てはじめて走り出す。第四の駄馬は、ムチで何度も打たれ、皮も肉も破れ、骨に達して(骨身に沁みて)はじめて走り出す。」


人が、人の死目(しめ)を縁として、いつ正しい生き方に目覚めるか、ということに置き換えられます。

第一の人はアカの他人の死を縁として目覚め、第二の人は友人知人の死を縁として目覚め、第三の人は身内の死を縁として目覚め、第四の人は自分自身が死ぬ間際になってはじめて目覚める、というのです。

http://beach7.blog.shinobi.jp/TrackBack/108/

四馬(しめ)と死目(しめ)、私は、第三の人かな。

ちゃいちゃん、あなたは、風になりましたか……。

改めて、ちゃいちゃんのメッセージを聞いてください。

経力

ここのところ、三部経(法華経)を1品づつ毎日読誦しています。

ここのところ、本当に不思議なのですが、運がいいのです。

ここのところ、とにかく、物事がスムーズに運ぶのです。

これって、もしかして、経力ってヤツですか……。


そういえば、お経は誰のために読誦するものだと思いますか?

昨日の春季彼岸会のビデオで説法をしていた尼さんが、以下のようにおしゃっていました。

お経は、亡くなった人やご本尊に挙げるのでなく、自分自身に対して挙げる

とのことでした。


とにかく、良いことが書いてあるお経を挙げることは、もちろん良いことです。

で、例の真理。

良いことをすれば、良い縁にふれて、良い結果になり、良い報いが来る。

だから、運がよくなったのかなぁ……。

お彼岸の入りの霊園奉仕

今日は、某霊園に霊園奉仕に行って参りました。

お彼岸の入りということで、普段の霊園と違って、けた違いに参拝者が多かったです。

なんたって、線香売り場の奉仕の人が一番大変でした。

私は、御墓所にお花を上げたり、磨いたり、あと、ご本尊でお経を挙げました。

今日は、線香売り場の奉仕の人が、一番、功徳がつめたと思います。

最後に例のお言葉


因果の法則

良いことをすれば、良い縁にふれて、良い結果になり、良い報いが来る

今日は、良い功徳が積めました。

もちろん、ちゃいちゃんのお墓参りもしてきました。誰か先に来てお花が上がっていました……。

開祖記念館

今日は、家内の付合いで、大聖堂(東京杉並区)に行って参りました。

リニューアルしてからは、2回目なのですが、前回は、ほとんど何処も見なかったので、事実上今回が初めてでした。


様変わりした聖堂周辺を散歩しながら、開祖記念館内を拝見させて頂きました。

一言で言うと、素晴らしい空間でした。よくこれだけの空間をコーディネートしたものです。

明るいようで、薄暗く。薄暗いようで明るい。不思議な空間でした。


それにしても、あらためて開祖さまの偉大さには、脱帽ですね。

そして、あらためて開祖さまの教えです。

戒律を守り、善事をなし、心を浄めるという、人間としてあたりまえのことを、あたりまにすればよいのです。

仏さまの願いをこの世に実現すべく努力する、教えを日常生活に生かす。

ただ、この一点に意を尽くしていただきたいのです。

確かに、法華経に書かれている戒律や善事を、日常生活で実践すると心が浄まります。

そして、あらためて、法華経に書かれていることは、とりもなおさず、仏さまの願いなのだと気づかして頂きました(合掌)。

心みつめて

素晴らしいサイトを発見しましたので、ご紹介します。


魅力をつくりだす

「私なんかなんの魅力もないんだから、好きになってくれる人などいるはずがないんだ」と、自信をなくしている人がいるのではないでしょうか。しかし、魅力とはなんなのか、よく考えてほしいのですね。私は、それは徳分のことだと思うのです。


明るく、思いやりがあって、周囲の人を幸せにしてあげられる力、それが徳分です。それをたくさん蓄えると福の神を引き寄せるのです。逆に、自分勝手で陰気な人は徳分がどんどん減っていってしまい、そこに貧乏神が入り込んできます。


ふつう魅力と考えられている容姿や学歴や才知よりも、人としていちばん大事なものが、この徳分です。それは、人のためになることを心がけ、それをコツコツと積み上げていけば、だれにも具わります。それが具わると、無理に求めなくても向こうからいいことがやってきます。その魅力を分かってくれる人が必ず現われるのです。


ただ、ちやほやされるような表面的な魅力よりも、人間としての本当の幸せをつかむ魅力を具えようではありませんか。その人間的魅力は、かりに困難にぶつかっても、それを自然によいほうに変えてしまう力になるのです。

http://www.rk100.jp/words/d.cgi?m=p&id=3074&gid=13

徳分ですか…、たしかに、自分勝手で陰気だと貧乏になるように思います。



人生ドラマのヒーロー

テレビドラマなどを見ていると、次々に事件が起こり、主人公がそれに取り組んで問題を解決していきます。そこがドラマのおもしろさですが、それは人生の縮図ともいえます。


私たちの人生は、解決を迫られる問題の連続です。家庭でも、夫婦で意見が衝突したり、家族が病気になったり、子どもが反抗したりと、心配ごとの絶え間がありません。けれども、それがじつは家庭のゆがみに気づかせ、その立て直しを願う家族の訴えの軋(きし)みなのですね。そこで、ただ困った困ったと頭を抱えて、その場をとりつくろおうとするよりも、その“症状”の底にあるものに気づくことが大事です。


信仰というと、無病息災、家内安全、商売繁盛を願うことのように思われがちですが、そうではありません。次から次へと問題が起こってくる人生だからこそ、それに立ち向かい、それを乗り越える力をつけてしまう。その力を与えてくれるのが信仰なのです。


こっちがその力を具えてしまえば、どんな問題が起ころうと、平然と対処していけます。それが本当の平穏無事です。自分が自分の人生の主人公になるのです。

http://www.rk100.jp/words/d.cgi?m=p&id=3029&gid=16

信仰とは、『次から次へと問題が起こってくる人生だからこそ、それに立ち向かい、それを乗り越える力』を与えてくれるもの!

降誕会

今日は、4月8日、花祭り(降誕会)。

お釈迦さまが、お生まれになった日とされています。

生まれてすぐ、四方に向かって七歩ずつ歩かれ、右手を天に指し、左手を地に指し『天上天下唯我独尊』と宣言されました。

ちなみに、『天下』は『てんか』でなく『てんげ』と発音します。

なぜ、生まれてすぐ、このような事が出来たのか?

それは、以下を参照してください。

私も、某教会で侍者のお役をさせて頂きました。

また、新しい教会長さん(4月就任)と初めてお会い致しました。

なかなか、まじめそうな方で、これからが楽しみです。

生まれそして生きる意味

また、生きる意味がわからなくなってきました。

赤ちゃんは、掌を握り締めて生まれ、掌を広げて産声を上げるそうです

では、なぜ赤ちゃんは、掌を握り締めて生まれ、掌を広げて産声を上げるのでしょう

赤ちゃんは、この世に生まれてくる時に、

たくさんの夢と希望を、握り締めて生まれてくるんです

そして、生まれた時に、この世界に、みんな解き放ってしまうんだそうです

生まれた喜びと、夢と希望を放してしまった悲しみで、

産声を上げるのだそうです

では、なぜ、人は生きていくのでしょう

それは、生まれた時に手放した夢と希望をもう一度、

手に入れるために、苦しくても、悲しくても、生きていくのだそうです

夢や希望を、手にした時の喜びを、もう一度知るために・・・

辛くても、苦しくても、希望の光だけは、見失わない事と、信じています・・・

http://homepage2.nifty.com/kota0520/qol.htm

そっかー!夢や希望を取り戻すためか!

言葉の力

とある小誌からの引用です。

「優しい言葉をかける」といっても、単に口先だけの言葉では相手を動かすことはできません。

心から相手を思い、幸せにしてあげたいという気持ちからほとばしり出た言葉であるとき、その言葉が相手の琴線にふれ、その人生を一変させるほどの力をもつのです。

『ほとばしり出た言葉』、ですね……。

困難こそが、チャンス?

とある宗教系新聞の抜粋です。

人類の直面する困難こそが、菩薩道の機会を与えてくれるのであり、混迷の時代こそが地球に浄土をつくるチャンスを与えてくれるのだと信じています。

社会を変革するには、まず自ら清らかにしなければいけません。

地球の不浄から解放されなければならないのです。

私たちは、来世に極楽を求めることはできません。

極楽はここにあり、この瞬間に魂の目覚め、愛する心を持つのです。

まさに今の環境問題は、人類の直面する困難ですね!

少し、琴線に触れたので、ご紹介いたしました。

仏教の戒律

仏教の戒律は、これを破れば、神さまや仏さまの罰(ばち)が当たるとか、社会的制裁が加えられるとかでなく、

自分自身が損なわれること、自分自身の向上が妨げられること、だからこのように生活をしたほうがいいですよ。

という、『慈悲のすすめ』なのです。


仏教は、何も強制をしないのです。何も束縛をしないのです。正しい道が指し示されているだけなのです。

よくなろうと思う人は、その道に従って精進すれば、まちがえなくよくなるのです。


ちなみに、『慈悲のすすめ』の慈とは、人を幸せにしてあげたいという心で、悲とは、人の苦しみを取り除いてあげたいという心です。

一切無礙ならん

お経には『無礙(むげ)』という言葉が良く登場します。

『無礙』とは、妨げるものがない、すなわち自由自在という意味です。

ということで、『大衆を統理(とうり)して一切無礙ならん』チン!

お盆(盂蘭盆会)

お盆は、正式には盂蘭盆会(うらぼんえ)といい、元々は、旧暦7月15日を中心に祖先の霊を祀る一連の仏教行事です。


釈尊十大弟子の一人、目連尊者は、亡くなったお母さんが餓鬼道に堕ちているのを見つけ、

苦しんでいるのを助けようと、仲間に布施を行い、皆の力で助けたお話です。

このことから、祖先の霊を祀る一連の仏教行事となりました。


また、今の日本でのお盆は、大きく分けて東京のお盆と田舎のお盆の2つがあります。

なぜ2つになってしまったかというと、昔は旧暦の7月15日を中心にお盆をしていましたが、

新暦になったとき、東京は日付けを優先し、田舎は時期(8月15日は、旧暦の7月15日頃)を優先したのです。



で、これからはローカルな話です。


お盆の入りの日(7/13)の朝に、久々にちゃいちゃんに夢を見たのです。

まさくん(中三・三男)と2人で、まさくんより首一つ大きくなっていたちゃいちゃんでした。

夢なのでよく覚えていないのですが、とにかく満面な笑顔で微笑んでいたことは覚えています。


実は、かなり以前にちゃいちゃんの夢を見た時は、顔が真っ黒で、心配な気持ちになってしまったことがありました。

それ以来のちゃいちゃんの夢だったので、今回は、満面な笑顔でよかったよかった。


そして、お盆の中日(7/14)は、戒名当番(某会関係の人以外は謎)で、

次の日の盂蘭盆会イベントの全戒名がご宝前にあがっていて、その目の前でお役をさせて頂きました。


そして次の日の盂蘭盆会イベントで、ご宝前のお役の侍者をやらさせていただきました。

普段、某会のお役は、宿直以外は、ほとんどしていないのですが、重要なお役が重なりました。


盂蘭盆会イベントでは、開祖さまが入寂される時のお話を当時の佼成病院元婦長さんがしていました。

開祖さまが入寂された時は、危篤状態を通知する前に、自然と主要な人が全員集まったとのことでした。


まさに、『人の死にかたには、その人の生きかたが表れる。』を、また実感させられました。


元婦長さんのお話で面白いと思ったことは、この世では、生まれた時に、みんなでお祝いをし、死ぬときは、みんなで悲しむ。

しかし、あの世では逆で、この世に行く時は別れを悲しみ、死んであの世に帰って来たときは、お祝いをするそうです。


まさに、プラスマイナスゼロの世界ですね。この世とあの世は! ではまた。

理性の宗教と感情の宗教

世の中には、実に沢山の宗教があります。

どの宗教も、幸せになることが目的の一つだと思います。

しかし、宗教がもとで争いが起こることもありますね。


これらの宗教は、『感情の宗教』なのです。

『感情の宗教』には、2つの欠陥があります。


それは、感情である『これは好き』、『これは嫌い』、という2つの欠陥です。

『これは好き』が高ずると、他の宗教を排除し、争いが起きるのです。

『これは嫌い』が高ずると、宗教をさめた目で『宗教は阿片なり』となるのです。


では、『理性の宗教』とは、どういうものでしょうか?

ハイ、それは、仏教です。


仏教は、感情的にこれを拝めとか信ぜよとか教えられたものではありません。

仏教は、因果の法則を説かれたもので、誰でも理性で理解ができるものなのです。


そう、仏教は

良いことをすれば、良い縁にふれて、良い結果になり、良い報いが来る

悪いことをすれば、悪い縁にふれて、悪い結果になり、悪い報いが来る

です!

■ 反省するな! 希望を持つな!

とある宗教評論家の人が、以下のようなことを言っていました。


仏教の教えは、『いま・ここで・わたしが生きている』という、しっかりと自分を生きることの教えです。

過去でもなく、未来でもなく、今なのです。


確かに、今一瞬一瞬をしっかり生きれば、つねに充実しているので、過去を反省する必要はないし?

未来はよい方向に開けていくので、特に希望など持たなくても大丈夫?


だから、私に向いているのかな仏教は…、場当たり的な所がぴったりとか(-_-;)

■ 先祖供養は未来休養!?

7月は東京のお盆、8月は田舎のお盆、9月は秋のお彼岸です。

お先祖さまを供養する行事が続きます。


実は、過去のお先祖さまの誰一人欠けても、自分は存在しないのです。

そう、お先祖さまあっての自分なのです。


また、供養とは、そのようなお先祖さまに対する感謝の心を表す行為です。

具体的には、お墓参りとか、ご仏前にお花、お水、お茶をお供えし、お経の読誦とかです。

そして、これらの行いは、善い行いとしてお先祖さまへ回向されるのです。


善い行いをすると、善い報いが来ると説くのが、仏教です。

だから、供養を行うと、必ず、未来に善い報いが来るのです。


それは、自分に来る場合もあるし、子孫へ来る場合もあるのです。

まさに、 先祖供養は未来休養になるのです。

■ 2007年:秋のお彼岸会

今日(9/17)、東京都三鷹市の某教会で『秋のお彼岸会』がありました。

お彼岸とは、お盆と同様に先祖供養の行事です。

先日(9/15)は、お墓参り。細木数子がお墓の前でお経(法華経)を上げるとご先祖さまがすごく喜ぶとのことで、それを実行してきました。なんて素直。

昨日(9/16)は、『秋のお彼岸会』のリハーサル。行く前に念入りにお経(法華経)を上げから行きました。


で、今日の本番ですが、なぜか、すごくスムーズにことが運び、驚きの連続でした。

チラシは一発OK、進行はいろいろ人助けができ、設営は前準備なしで困難が予想されたのになぜかスムーズにことが運びました。

これは、私の拙い文章力で細かな説明するのは、大変なので割愛しますが、とにかく、ご先祖さまが応援してくれたとしか思えないことの連続でした。


今回、本当に目には見えないけど、ご先祖さまを実感することができました。


まさに、ご先祖さまを思えば、思ってくれる…思えば思われるです。

先祖供養と親孝行、本当に大切です。でも、なかなかそう思えない時期がありましたが…。

■ 伯母の納骨式

昨日(10/13 13:15)、千葉市若葉区の平和公園墓地で、伯母の納骨式がありました。

朝、10時に出発し、早ければ1時間前に着けるかなと思ったけど、首都高が込んでいて、ぎりぎりセーフでした(気揉んだ)。

やはり、時間に余裕をもって出発するの正解です。

途中、突然のトイレ休憩(謎)や先に着いた従弟からの道案内アドバイスなど、神様仏様ご先祖様にご加護されていると思うことの連続で、改めて神様仏様ご先祖様に感謝感謝でした。


納骨式では、お墓の前でお坊さんからお経を上げてもらって、有り難い説法を聞かせて頂きました。

それは、念珠(ねんじゅ)と合掌についての説法です。

基本的に念誦は左手に持ち、合掌するときに念誦を両手に掛け、30度から45度(推奨)で礼拝する。

また、お供え物は、初めにお供えをして、終わりに必ず持ち帰る、または、終了後その場で食べるとのこと。


とにかく、お供えしたものは、持ち帰ってみんなで食べるということでした。

実は、ちゃいちゃんのお墓参りの時は、いつも置いて来ていたのです。

私がいくらカラスの餌になって、お墓が汚れると言ってもです。

ママとママ方のお婆ちゃんのちゃいちゃんを思う強い意思には敵いませんでした。

でも、この説法を聞いて、少し考え直したようでした。よかったよかった。


で、今回このブログで言いたかったことは、神様仏様ご先祖様っているよってこと、思えば思われる。

神様仏様ご先祖様を思えば、神様仏様ご先祖様が私を思ってくれる……そう思えば思われる。


2008-03-26 同心とは

とある小誌より

口で「同心」を唱えるだけでは、一つの心になれるものではありません。

共通の願いを持って、苦楽を共にしてこそ同心が育っていくのです。

2008-03-05 某教団創立70周年

今日は、某教団で創立70周年記念式典がありました。

その某教団の経典は「法華経」です。

実は、はっきり言うと「法華経」は難信難解です。

その難信難解の「法華経」のエッセンスを以下の「3つの心構え」と「3つの実践」で分かりやすく一般人までに落としてくれたのが某教団の方々なのです。


3つの心構え
かつて書いた3つの心構えの記事(ひとつたりないけど・・・)

http://chaichan.lolipop.jp/chai/hokke_essay.htm#d34281

http://chaichan.lolipop.jp/chai/hokke_essay.htm#d3B021


3つの実践
かつて書いた3つの実践の記事

特に「3つの実践」は、現会長先生が自ら3年間毎日実践し、これこそ現代の法華経実践とだ確信したものだそうです。

私も同感だと思うこの頃です。

2008-04-10 努力を続けていないとチャンスはつかめない!?

人間には、一生のうちに何度かチャンスがめぐって来ると言われています。

しかし、そのチャンスは、普段から努力して実力を蓄えていないと通り過ぎてしまうそうです。

つまり、実力を蓄えていないとチャンスが来たことすら気がつかないのです。


人間の脳は、「出来る」と思うと、それを実現するために脳をフル回転させるそうです。

反対に「出来ない」と思うと、脳をフル回転させて、出来ない理由を考えはじめるそうです。


とにかく、自分の夢を「出来る」と思って、脳をフル回転させ努力すれば、きっとチャンスをつかめるのです。

努力を続けいれば、才能などなくても、きっと夢を実現することができるのです。


がんばれ! だれにともなく・・・

2008-05-24 開祖さまに倣いて

本当の本当に素晴らしいご著書です!!

某会会員の方々は、必読10回読むべし!!


法華経をわかり易く紹介された開祖さまの膨大なご著書のエッセンスを、これほどまでに凝縮した本は初めてです。

素晴らしい仕事をしましたね。さすがです。


私も、このエッセンスを一般(会員以外)の方にも伝えたいと心に決めました。

今後の本ブログでも、このエッセンスのエッセンスを、紹介していきたいと思います。


開祖さまに倣いて

開祖さまに倣いて

  • 出版社/メーカー: 佼成出版社
  • 発売日: 2008/03
  • メディア: 単行本

2008-05-25 光を見いだす……成道

約2500年前の12月8日、明けの明星を見ながら、お釈迦さまは、お悟りを開きました。

そのお悟りは、人間はもとより、あらゆる動物も植物もみんな仏と同じように尊い、光り輝く存在に見えてきたのです。


本来、光っているものを、光っていると見ることのできる眼を持つこと、それが仏になること。

とにかく、自分も相手もみんな仏性をもっていて、それに気がつくこと……そこから幸せが始まる。


では、仏性とは、すべての人を幸せにしたいと願う性質かなぁ……。

本質においては金色に光り輝くような美しい世界なのに、心のレンズにいっぱい汚れがついているために、それを通して見る世界が汚れてみえるだけのことです。

ですから、心の汚れをすっかり拭いさってしまえば、この世はこのままで寂光土にかわるのであって、法華経の教えの神髄はこのところにあるといってもいいでしょう。

開祖さまに倣いて

2008-05-26 生かされて生きる・・・・・・縁起

『法華経というのは、因縁を光りが発するように悟ること』・・・。

『法華経の見方とは、いまある「縁」によってこそ、生かされて生きることを感じ取っていくこと』・・・。

仏教の教えというものは、詮じ詰めれば、天地すべてのものに支えられているという実相、目に見えないものにも生かされているという実相を、われわれにわからせるためのものなのです。

開祖さまに倣いて

2008-05-28 百パーセント救われる……法華経

仏教の基本は「世の中のすべてのものごとは、『因』と『縁』の出合いによって存在する」という縁起の教えです。

法華経は、これを一歩進めて「常にまわりの人をよい因・よい縁と見る」という「善因善果」で、すべての人が百パーセント救われるという縁起観なのです。


「法華経ですべての人が百パーセント救われる」というのは、出合うことすべてを幸せの因と見ることで、人は皆幸せになるために生まれてきていると信じること。

いろいろな現象は、すべて私たちが幸せになるために、必要あって出てくる仏さまのプレゼントです。

そう信じてみると、日々のあらゆる出合いのなかに、私たちを生かそう、幸せにしようとする仏さまの願いを感じ取ることができるはずです。

開祖さまに倣いて

2008-05-29 ありのままに観る・・・・・・実相

仏さまの智慧とは、ありのままを見通し、ありのままを生かすこと。

いまを最大限に生かす智慧を磨くこと、それが私たちの生きる目的なのです。

その智慧で見ると、嬉しいことや辛いことの中にも仏さまの慈悲のはたらきをみつけることができ、幸せになれるのです。

2008-05-30 いまのなかにみつける・・・・・・功徳

幸せというのはどこかにあるものを追い求めて得られるのでなく、いま自分がいるその場所で見つけ出すもの、気づくものです。


問題を否定したり、直そうとするのではなく、そのままを喜ぶこと、それが「本質的な救われ」です。


何も変わったことがないのが功徳である場合が多いのです。その功徳を感じとるのが、真の信仰者というものです。

開祖さまに倣いて

2008-06-30 願いによって生まれてきた・・・・・・願生

『開祖さまに倣いて』より引用です。

「願って」生まれてきた心境になれたとき、人生の苦しみ、悲しみが、解決すべき問題から、仏さまの慈悲の導きに変わったのです。

う〜ん、わかるんだけど、納得できない自分が心の隅にいる・・・。

2008-06-29 「布薩の日」とは?

一年後に「布薩の日」がわかりました。


某会では、月の1日と15日のことを「布薩の日」と言います。

私は、1年ぐらい前に法座で質問をしました。

『布薩の日ってなんですか? なんで月2回あるのですか?』

その時は、『昔からそうなんです』的な答えで、はぐらかされてしまいました。


で、今日、ママの付き合いで久々に教会の法座に座らせていただきました。

法座が終わったあと、隣に座った、とあるおばぁちゃんと久しくお話をする機会があり、そこで一年前に質問した

答えのメモを頂きました。


そのおばぁちゃんは、一年前の質問を、その時にわからなかったので、ご自分で調べていたのでした。

私自身は、そのことをすっかり忘れていたのですが、そのメモを渡されて鮮明に思い出しました。

こんな些細な質問を丁寧に調べてくれて、しかも一年後の突然の回答、感動いたしました。ありがとう!


布薩メモ

比丘たちが半月ごとに行われる布薩という集会。

仏陀または長老比丘に対して懺悔を行った。

係の比丘が戒律を一つ一つ読み上げていくうちに、

もしその箇条にふれる罪を犯したという自覚を気づいたら、

即座に自らを申し出て内心のひそかなる罪をすべてさらけだし、

指導者のさばきを待つのでした。

つまり、半月毎なので1日と15日に行い、そして、懺悔を行う日なのです。

また、これは某会の行事でなく、仏教の行事だったのですね。

2008-06-19 真理によって救われる・・・・・・信仰

『開祖さまに倣いて』より引用です。

仏さまは、お慈悲によって私たちに難題をもたらしてくださいます。

それは、法の認識を深めさせるためのお慈悲であり、幸せな心境に導くためなのです。

私が真理に沿っていけば、救いという果報は仏さまが出してくださるのです。

それが、根こそぎ救われる法華経の真理の世界です。

そこに「信仰」があるのです。

なんだ、難問は、仏さまのお慈悲だったのか・・・。

どうやら、私は、仏さまに気に入られているみたいだ。

とにかく、真理に沿っていけば、よさそうだなぁ、よしよし。

2008-06-16 一切のお手配・・・・・・方便

『開祖さまに倣いて』より引用です。

そのとき、その場、その人にふさわしいく真実へ導いてくれる縁、それが「方便」です。

人生に起こることすべてが方便であるとすれば、それをすべて生かそうと努力することが、仏さまの願いの通りに生きることであり、真理へつながる道なのです。

本当に仏さまの願いを理解したとき、目の前にあった問題を超えていくことができるのです。

なんとなく、わかります・・・。

2008-06-14 仏の慈悲を知る・・・・・・本願

『開祖さまに倣いて』より引用です。

すべての出来事は、自分本来の仏性を輝かせるために必要で、まわりは自分が仏になるための、有り難い「縁」ばかりなのです。

それがなければ、自分の仏性を輝かせることができない、大切なのは「はからい」なのです。

すべてを仏さまの慈悲だと信じることです。

仏さまのお慈悲を信じることによってこそ、仏さまの本願を受けとめることができるようになるのです。


ちなみに、「仏さまの本願」とは法華経如来壽量品で以下のように述べられています。

毎に自ら是の念を作す 何を以ってか衆生をして 無上道に入り 速やかに仏身を成就することを得せしめんと

つまり、どうしたら早く仏と同じ心境にさせることができるのか・・・。

その願いをかなえることが、「仏さまの本願」なのです。


ということで、すべての出来事は、自分を成長させる(仏と同じ心境になる)大切なおはからいと受け止めて頑張れば、いいみたいですね!

たしかに、最近、そう思えるよ・・・なぜだろ〜

2008-06-11 心を開く・・・・・・開示悟入

『開祖さまに倣いて』より引用です。

私たちは人さまの悩みを聞かせて頂くときに、ややもすると、その人の心の内を聞く前に悩みの原因が見えてしまうことがあります。

するとすぐにでも悩みを解決してあげたくて、「こうしたら」「ああしたら」と、それまでの経験をもとに、その原因を取り除くためのアドバイスをしてしまいます。

それは相手を思う気持ちであり、また、常識的には正しいことかもしれません。

けれども、いくら正しいこと、変えるべくことであっても、それを先に持ち出してしまうと、相手の心を開くことはできません。

いま目の前にいる人の心を開くには、相手の思いをそのまま共感していくことです。

自分の思いを本当に受け入れてもらったと思えたとき、人の心は開くものです。

すると、今度はどんな言葉も受け入れてくれるようになるのです。

『相手の思いをそのまま共感していくこと』わかりました。

2008-06-03 すべてを生かす・・・・・・自覚

お釈迦さまは、自分を何度も殺そうとした提婆達多(だいばだった)を憎まず、逆によき友(善智識)とおしゃっていました。

これは、自分にとって、いやな人、いやなことが、実は自分を成長させていただけるチャンスなのだという教えなのです。


このように人生は、いいことも、いくないことも、すべて自分を生かすことだと自覚ができれば、すでにもう幸せなのです。

2008-06-01 人として出会えてよかった・・・

今日の『ママのつぶやき』でもすでに書かれていますが、やはり、今日が次男(高3)の部活(バスケ)最後の日になりました。

ということは、接戦の末、負けてしまったとのことでした。


試合後、退部する全3年生一人一人へコーチからメッセージを頂きました。

次男はコーチから以下のメッセージを頂きました。

『・・・お前とは、人として出会えてよかった・・・』

と、言われたそうです。


次男は、コーチと部員との関係でなく、『人として出会えてよかった・・・』言われたことに凄く感動をしていました。

コーチは、仕事の忙しい中、時間を割いて練習を見に来てくれるのですが、次男はそれをよくわかっていて、いつもコーチへ感謝の気持ちを伝えていたとのことです。


私も親として、この話を聞いた時、すごく嬉しくなりました。

2008-06-01 すべてが奇跡

最近、思うんです。


2年前、父が亡くなって、家を相続し、今、家族5人で暮らしています。

家そのものは相続で頂きましたが、自分の働きでこの家に住み、家族5人を養っている。

そして、約30年間、プログラマとして働いてきました。


このへぼプログラマが、家付きで家族5人を養っていけるかな、と思った瞬間に急に不安になりました。

なぜかというと、私の実力に見合っていないぁと思い、急に不安になったのです。


しかし、法華経を勉強している私としては、すべては、仏さまのおはからいの中で、生かされていると教わっています。

なので、すべてが奇跡によって、今があるのだなぁ、と思った瞬間、不安が消滅しました。


自分の我で暮らそうとしているのではなく、仏さまのおはからいの中で生かされて、そして、家族5人がここにいる。

すべてが奇跡の中で生かされている・・・。


そう、地球があるのも奇跡、地球に生まれたのも奇跡、約30年間プログラマでいられたのも奇跡、家族5人で暮らしていけるのも奇跡・・・。

これからも、この奇跡に、日々感謝して、生きていきたいと思います。

2008-07-13 今日から東京のお盆です

お盆とは、超簡単に言うと、年に一度、夏場に『先祖供養』をする日のこと。


今日から3日間の7/13,7/14,7/15は、東京のお盆です。

場所によっては、7/16までのところもあるみたいです。

田舎では、8/15日前後にお盆があるみたいです。


で、今日某教会で、盂蘭盆会があり、そこで曹洞宗の尼さんの講演を聞きました。

心に残ったことをメモしときます。


仏教を凄く凄く簡単に言い表すと「やさしさ」とのことでした。

そして、譲る心が大切とのことでした。


欲張って得る心は、一時的には得ても、結局得ることはできず、譲ることによって初めて本当に得ることができる。

とのことでした。これは、私も納得で、確かにそうだと思います。


あと、相手に仏教を説くには、いくら口で説いてもダメで、背中で説かないとダメとのことでした。

つまり、自分の仏教実践を相手に見てもらうことが第一で、そこで相手が納得すれば、そこではじめて仏教を説くとのことでした。


それから、仏教は無欲の教えだと勘違いしている人が多いのですが、無欲でなく小欲の教えとのことでした。

確かに、無欲だと人類が滅んでしまいそうですね。


ということで、講演の後、家に帰ってきて、家のお盆の準備をして、もうそろそろ、ご先祖さまをお迎えします。

2008-07-01 願いに沿って生きる・・・・・・修行

『開祖さまに倣いて』より引用です。

・・・「人間は、いくらでも幸せになってもいい。幸せになったら、その功徳をみんなにお分けすればいいんです。そうすれば、もっと幸せが増えるから」・・・

それは毎日の生活のなかで、小さな幸せ、小さな喜びを発見し、その喜んでいる心をそのまま口に出してみることから始まります。

どんな小さな喜びでも、それを言葉に表し、人に伝えてみることで、驚くほどまわりをあたたかく、幸せに変えていきます。

すると自分自身が、仏さまの説かれる法をより深く実感できるようになるのです。

ちょっと、章(願いに沿って生きる)の内容に関係ないところだけど、心に留まったので引用しました。

2009-07-12 盂蘭盆会2009

えーと今日は、毎年恒例のお盆の式典が某教会でありました。

毎年恒例だと、本当に一年があっという間に過ぎてしまうというように感じる歳になりました。

とりあえず以下は、過去に書いた盂蘭盆会のブログです。

今回は、教育評論家の川越淑江さんのご講演がありました。

期待しないで聞いていた割りには、結構良い話が聞けました。


子供の躾で、『人さまや世間の迷惑になるとはしてはいけない』と言うより、『人さまや世間のためになる人になりなさい』と言う方がかなり良いとのことでした。

言われると、あーそうか! って感じですが、つい『人さまや世間の迷惑になるとはしてはいけない』と躾てしまう・・・。


また、子育てには、オアシスが必要とのことでした。

このように躾ると家庭がオアシスなる・・・なるほど上手いこと言う。


あと、呼ばれたら『ハイ』と返事するように躾ますが、この『ハイ』は、実は人を拝む『拝』とのことでした。

呼ばれたら『ハイ』と返事をいうことは、呼んだ人を拝むことだったのですね。

2009-06-08 久々のお墓参り

ここ9年間、平均月1回は、お墓参りに行っていましたが、ここ数ヶ月はご無沙汰していました。

妹から『お墓に手紙が置いてあったよ』と聞いて、昨日ママと一緒にお墓参りに行きました。


お墓には、ちゃいちゃんのお友達の手紙がありました。

お友達もいろいろと辛い時期に、『真っ暗の中、ちゃいちゃんのお墓を探して、1人で泣いていた・・・』と書いてありました。

そして、将来もし学校の先生になれたら、友達の大切さ、命の大事さを伝えるんだって書いてありました。


何年たっても、すごいなぁ・・・ちゃいちゃんは・・・。

お友達も、辛い時は、我慢しないで、ちゃいちゃんママが話し相手になってくれると思いますので、是非いらしてくださいね!

しかし、私でよければ、私も話し相手になりますが・・・美しい22才の娘さん達を前にすると、おじさんには眩しすぎる・・・(^^;

2009-05-31 ご先祖さまに感謝

実は昨日、伯母さんの三回忌のご供養を行いました。

伯母さんは独身で子供が無く、亡くなってから、ビンボーな我が家に大変な恩をもらました。

ある意味、次男が大学に行けたのは、伯母さんのお陰でだったのかもしれません。

昨日は、普段ご供養などには参加しない次男も正装で参加して神妙にしていました。


最近思うんです。

自分は、見えない力に支えられている・・・って。

大不況の中、仕事が次から次えと貰える。

子供がみんな良い子で・・・。

妻も半分やさしい・・・(あとの半分は内緒)

ビンボーでお金がなくなると、なぜか当てにしないお金(給付金等)が入るとか。


これって、もしかしたら、ご先祖さまがあの世で、計らってくれているのかな・・・なんて思えてくるのです。

とにかく、ご先祖さまに感謝して感謝して、生きていきたいと、昨日、ご供養していて感じたのでした。

そう、10代先まで遡ると1024人のご先祖さまがいるのだから、このパワーで計らってもらいましょうよ!


もちろん、自分も頑張らなきゃね・・・大不況だし!

2009-05-29 いのちの尊さの実感

たとえば、過去10代のご先祖さま1024人の内、1人欠けても自分は存在していない・・・。

つまり、それだけ尊いいのちを私たちは生きているのです!

  1. 両親で2人
  2. 両親の両親で4人
  3. 両親の両親の両親で8人
  4. 両親の両親の両親の両親で16人
  5. 両親の両親の両親の両親の両親で32人
  6. 両親の両親の両親の両親の両親の両親で64人
  7. 両親の両親の両親の両親の両親の両親の両親で128人
  8. 両親の両親の両親の両親の両親の両親の両親の両親で256人
  9. 両親の両親の両親の両親の両親の両親の両親の両親の両親で512人
  10. 両親の両親の両親の両親の両親の両親の両親の両親の両親の両親で1024人

と思ったら、以下は超桁違いに、尊いいのちを私たちは生きているのですね!!!

自分のいのちの尊さについて考えましたが、理屈理論で考えてみると、、、。

男性の精巣は一日に約3億5000万個の精子を作り出します。そして、10歳位から死ぬまで作られます。人生80歳と仮定すると、3億5000万(個)×365(日)×70(年)=8兆9425億(個)

女性の卵巣は1ヶ月に1個の卵子を作り出します。そして、10歳位から50歳位まで作られますので、1(個)×12(月)×40(年)=480(個)

精子×卵子=4292兆4千億(個)となります。

私ひとりのいのちは、1/4,292,400,000,000,000の確立で頂いたいのちなのですね。これを貴重と言わずして何と言ったら良いのでしょうか?

http://hikariniti.exblog.jp/11632525/

2009-05-26 仏教は苦滅の道

とある書誌(佼成6月号)より引用

何か事が起こると、「さあ大変だ」と言うのが口癖になっている人がいますが、私は逆に難問がくると「これは、おもしろくなってきたぞ」と自分に言い聞かせるのです。そこの紙一重の差が大事だとおもうのです。


さあ大変だと思うと腰が引けてしまいます。反対に、「ようし」と心に決めると、すぐ行動がおこせるのです。行動を起こせば、必ずどこかに道が開けてきます。


「仏教は苦滅の道」であると学んで、「どんな苦も救うことができる教えを見つけた」と、躍り上がらんばかりだった当時の感動です。


その苦滅の道のかなめは、自分に不利なこと、つまり逆縁をも仏さまのご功徳であり、善縁なのだと受け取れるようになることにあります。

大不況の今だからこそ、こころに染みてくるお言葉ですね!

私も、「かなめ」を心に刻んで、「ようし」と心に決めて、頑張ってみます・・・。

2009-05-03 道場当番

今日は朝5時に夜勤から帰ってきた長男に起こされて、6時にセブンイレブンに三男のお弁当を買いに行き、7時に教会へ道場当番に行きました。


道場当番は、鐘のお役と洗濯をメインにさせて頂きました。

最近は、鐘のお役を家では、さぼりにさぼっていていたので、ミス連発・・・反省反省。


最近、『燈明日記』を読んでいますと、よく言われるようになり、嬉しいのですが、逆にプレッシャーなのか書けなくなったりしています。


まぁ、とにかく、マイペース、マイペース、これからもよろしくお願い致します。


あ、そうそう、三男の三鷹七中バスケット部は、今日の試合に勝ち、春季大会の9ブロック中でベスト4になりました(パチパチ)。

後、一試合勝てば、都大会出場権獲得です。


しかし、長男、次男と後一歩のところで夢破れた都大会出場を、三男はまた果たそうとしています(すでに新人戦で)。

とにかく、都大会に出場するには、大変な練習と努力が必要なのです。がんばれ七中バスケット部!!

2009-04-26 祝・某教会50周年

えーと、今日は『某教会50周年』記念イベントがありました。

普段、あまり会えなかった人に沢山会うことができました。


みんな3〜5年ぶりで、中には超カワイイお子さんがいる方もいました。

ってことは、私も宿直以外は結構サボっている・・・。


そう言えば、法華経エッセイの某教会ネタでお世話になった前教会長さんにもお会いできて・・・なんと私のブログをたまに見てくれているとのことで・・・凄く嬉しくなりました。


イベントは順調に終わり、三鷹市と武蔵野市の両市長さんの挨拶もあり、地域に根ざしたボランティア活動を評価して頂き、某カルト系教団とは違い、某会は宗教の仮面を被ったボランティア集団だと認められているんだなと嬉しくなりました。


ということで、宗教と言えば、すべて金儲けのカルトだという風潮がありますが、中には良い宗教もありますので、ひとつよろしくお願いいたしますね。

2009-04-02 出会いが人生を変える

開祖さまに倣いて

昨日は、某教会にて月一度の「宿直の日」で、尚且つ、丁度4月1日ということで、そこで「夜間の集い」もありました。

「夜間の集い」では、佼成ニュースとスマイル(会員ドキュメント)を見ました。

両方とも今月号(佼成&躍進)の法話「出会いを楽しむ」がらみでした。

今月の法話「出会いを楽しむ」は、結構良い事が書いてありました。


たとえば、仕事で厳しいことを言ってくる人を「この人さえいなければ」と否定的に見るか、「苦言は、足りない私を向上させるため」と肯定的みるか、また「器を大きくさせていただける、ありがたいご縁」と感謝の心で見るかによって、出会いは大きく変化します。


つまり、「仕事で厳しいことを言ってくる人」という一つの現象に対して、以下の三つの見方があったわけです。

  1. 否定的「この人さえいなければ」
  2. 肯定的「苦言は、足りない私を向上させるため」
  3. 感謝的「器を大きくさせていただける、ありがたいご縁」

そして、否定的より肯定的、肯定的より感謝的に見ることにより、仕事スキルが上がり、精神的にも成長ができ、自分が変わり、自分が変われば世界が変わるのです。


また、「あいさつ」は人間関係を円滑にする基本の一つです。

私たちは、いま目の前の人やものごとを大事にして生きることが大切です。

いまを大切に生きることで、未来が拓くのですから、どんな人にも変わることなく、あいさつをする。

相手を否定的に見ないで、こちらが一つのことを貫いていけば、人間関係は必ず変化していくのです。


どんな出会いも感謝的に受け取り、どんな人にもあいさつを貫いていけば、出会いが人生を変えるのです。たぶん。

2009-03-30 関心って、実は愛のこと!

『人間というものは自分に対して他人から関心をもってもらいたいものである』とよく言われています。

私がブログやウェブページを毎日更新し続けるのも、もしかしたらコレなのかも知れません。


夫婦であればパートーを、親子であれば親子同士、仕事であればお客さまに対して・・・関心をもつこと!

そして、関心をもってくれることが分かると、嬉しくなりこちらも関心を持ち、こんどは相手が嬉しくなり、プラスのスパイラルになっていくのです。


逆に相手が自分に対して関心を持っていないと思った瞬間から、相手に対する感謝や協力しようとする気持ちが無くなってしまうのです。


そういえば、『愛の反対は無関心である』とマザーテレサが確か言っていたと思うのだけれど・・・

・・・だとしたら、愛の反対の反対は関心であるということになる。

つまり、関心って愛のことだったみたい・・・。


追記:

このことを書いてから、家族への言葉掛けが多くなっています。

本当に関心って愛ですよ!

2009-03-15 お彼岸会

今日は、某教会で春のお彼岸会の式典がありました。


とりあえず、『お彼岸とは』は、以下に2年前に書きました。

最近は、さぼりにさぼっている法華経読誦を久々に心を込めてあげることができました。

ここのところ体調が悪いママも今日は大丈夫で、一緒にお彼岸会へ参加出来たことも、有り難かったです。


しかし、今年ももう3月の中旬ですね。

あっという間に、時は過ぎていきますね。


50歳半ばで、ともすれば守りに入っていますが・・・まだまだ攻めなきゃいかん!

三男もまだ中学2年だし・・・。

2009-01-30 「お経を読む」ということ

最近、ブログ更新に時間を取られて、ご供養(法華経読誦)をサボりにサボっています。

なので、ブログ更新をほどほどにして、ご供養を復活させたいと思うこの頃です。


ご供養とは、具体的には「お経を読む」ということで、これは、どういうことかというと・・・。


まず、仏教とは、ずばり「因縁果報」の教えです。

平たく云うと、以下の2つです。

で、お経には、良いことが沢山書かれています。

読み始めのうちは、チンプンカンプンですが、毎日毎日読誦したり、ネットや本で分からない語句を調べたりして、徐々にお経の内容が理解でき、良いことが沢山書かれていると、わかるようになるのです。


つまり、「お経を読む」ということは、良いことが書かれているお経を読むわけですから、良いことなのです。

すると、良い縁にふれたときに、良い結果が出て、良い報いが来ることになるのです。


だから、「お経を読む」と良い報いが来て、幸せになることができるのです!

2009-01-26 寒修行

えーと、寒修行といいまして、今晩は某教会で以下の5品を読誦してきました。

寒修行後、食事をして、今ちょっと前に帰ってきました。

もう時間が時間なので、とりあえず、今日は昨年と一昨年の寒修行の日記です。

2009-01-24 戒名当番と云う修行

今日は、戒名当番と云うお役をさせて頂きました。

戒名当番とは、私が入会している某教団の某教会での修行の一つです。


修行内容を簡単に云ってしまうと、戒名を筆で習字するわけです。

修行が進んだお婆さんの場合には、本当の戒名をつけることもあります。

私のレベルでは、まだまだ、すでにある戒名を筆で習字するわけです。


戒名は、ご存知の通り、亡くなった人につける名前です。

ですので、普通の習字より集中して練習します。


上手く書こうとするとなぜか上手く書けず、無心で1文字1文字に魂を入れる気で書くと、力強い字が書ける感じです。


最後に私が字について思う格言です。

頭が良い人で、字の下手な人はいますが、字が上手くて、頭の悪い人はいない!

です。


なんか、当たっていると思いませんか?


ちなみに、私は、字の下手さでは、誰にも負けません。

しかし、次男の字を見た時に、はじめて敗北を感じました・・・遺伝や・・・。

2009-01-23 少食知足(食を少なくして足ることを知る)のすすめ

少欲知足でなく、今回は、「少食知足」です。


最近、体重が66〜7キロとちょっと太って来ました。まぁ、私の場合62〜3がベストです。

年をとったせいか、なんでも美味しく感じられ、少し食べ過ぎの感があります。


ですので、ちょっとダイエットを始めました。

ご飯は少なめで、腹七分目を心がけています。


これ、結構な食欲の我慢です。

また、コーヒー断ちもしまして、これも結構な我慢なのです。


そう、我慢が大事なのです。

すべて我慢しろとは、言いませんが、食事ぐらいは少し我慢が必要だと思うのです。


世界には、飢えで苦しんでいる人が沢山います。

そういう人を思うと心苦しいわけです。


せめて、腹七分目の引き算で、三分目が行き渡ってくれたらいいなぁと思うわけです。

また、体の方は三分目分が少なくなるわけで、一石二鳥なのです。


ということで、食を少なくして足ることを知るの「少食知足」でした。


ちなみに、日本の食糧は、世界的には以下の引用のようになっているとのことです。

世界では、

約1000万トンの食糧援助が

途上国に行っているのですが、

日本では、食べ残しが1000万トン、

廃棄物が1000万トン。

合わせて2000万トンということ

で、食糧援助の倍以上のものが無駄になっている

http://octo20con2.gro.cc/hunger.memo.fact.prpbably.html

大変な無駄をしていますね・・・日本人は・・・。

このつけは、必ずまわってきます。

なぜって、それは、良いことをすれば良い報いが、悪いことをすれば悪い報いが・・・これ真理(因果の法則)です。


そう言えば、社員食堂で毎日1000人近くの人が昼食をとりますが、それだけでも物凄い食量です。

そう思うと、本当に日本人って恵まれているって思うのです。

だからこそ、少食知足のすすめなのです。

2009-01-19 ガマン修行の時

いやー、世界同時不況の影響が我が家にも、ボディブローのように効いて来ました。

残業がなくなって、収入が少なくなって、食べる物も質素になってきました。


食べたい物をガマンするのは、結構辛いですね。

しかし、飽食すればメタボになってしまうし、逆にガマンもいいのかなと・・・思うわけです。


実際、大好きなコーヒーやめたことによって、つまりコーヒーをガマンして過敏性腸症群も良くなりました。

法華経に少欲知足という言葉があります。(たぶん、「少欲知足」は、2500前に出来た法華経が初出)


まさに今、自分の意志でなく、この不況によって少欲知足ができる状況になりました。

もしかしたら、環境問題も少欲知足で解決できるのかもしれません。


ということで、今は、ガマン修行の時と思って、この不況をなんとか乗り越えて行きましょう!


以下は、前に書いた「少欲知足」です。

2009-01-13 過去と他人は変えられないけど、未来と自分は変えられる!

三連休を家でのんびりと過ごさせて頂き、また、ここのところのコーヒー断ちと腹巻きが効いたせいか、過敏症も花粉症も大分楽で、体調も良く仕事も集中して出来ました。


で、今日ネットでたまたま見つけたメッセージです。

なるほどなぁ・・・と、思ったのでご紹介します。

過去と他人は変えられないけど、未来と自分は変えられる。

まぁ、結構有名みたいなので、知っている人は多いかと思いますが、私みたいに知らない人もいるかと思うので・・・。


たとえば、今回、コーヒー断ちと腹巻きの実践で自分が変わり、未来(体調がよくなった)も変わりました。

大した事ではないかも知れませんが、コーヒー断ちも、毎日腹巻きをするのも、結構大変なんですよ!実は。

大変なことをして、自分を変えたからこそ、未来(体調がよくなった)が変わったのだと思います。

ということで、『過去と他人は変えられないけど、未来と自分は変えられる。』は、なかなかの真理ですね。


また、今日は、会社から帰ってきてNHKの『クローズアップ現代「ガザ最新報告 停戦...」』 と TBSの『バラエティーニュース キミハ・ブレイク』を見てのテレビ三昧で、ブログを書く時間がなくなってしまいました。


ガザ最新報告を見ては・・・イスラエルとパレスチナの憎しみの連鎖を断ち切るのは、どうしたらよいのでしょうか・・・。

キミハ・ブレイクを見ては・・・幽霊達にこの世への恨みや未練を断ち切らせるには、どうしたらよいのでしょうか・・・。


などと、考えてみました。考えがまとまったら、また、本ブログで報告します。

では、もう寝る時間になってしまったので、おやすみなさい!

2008-12-24 『悪意/善意 江原啓之』

悪意/善意 たましいの素顔

先ほど読み終わったのだけど、いいです。すごくいいです。

前に何冊か江原さんの本を読みましたが、今回は桁違いにいい本です!!


どんな人でも悪意と善意を持っています。

人は、善意を磨くためにこの世に生まれてくるとのことです。

善意も『大我の善意』と『小我の善意』の2つあり、見返りを求めてしまう『小我の善意』もいいのだけれど、最終的にはマザーテレサのような『大我の善意』ができるように魂を磨きましょう・・・と、江原氏はメッセージします。


江原氏は、この世で悪意(自然の悪意を含む)に出会うことにより、魂を磨くことができると言っています。

そして、江原氏は占い師を否定すること言っていました。

『占い師は、悪意に会わないようにアドバイスすることが仕事なので、魂を磨く機会を奪うからよくない!』

なるほど、同感です!


とにかく、この世は、ある意味学校で、どんな不幸や悪意にあっても、それを乗り越えて『大我の善意』を学ぶために生まれてくる・・・。そして、あの世に帰っていく・・・。

ということで、あの世が『主』で、この世が『従』のようなものらしい・・・。


確かに、そう思うと何か気が楽になりますね。リストラどんと来い!って感じですか!


あと2つ心に残ったことがありました。

  1. この世では、どんな悲惨な死に方をしても、あの世では、あの世に生まれてきて祝福されるとのことです。
  2. 人を魂から感動させる音楽を奏でるには、多くの困難を乗り越えて磨かれた魂でないと人の心を震わすことができないとのことです(あとで長男に言おう)。

ということで、よかったので、もう一度読み返してみます!

2008-12-16 人間の覚悟 (新潮新書)

久々に五木寛之の本を読みました。

五木寛之は、すでに70代半ばとのことで、益々仏教的になってきていますね。

この本には、今の鬱の時代を生き抜くには、とりあえず覚悟が必要だと書いてあります。

とにかく、生きることだけでも大変なことを成し遂げているんだ・・・と、熱く何回も何回も語られていました。

すると、読んでいる方は、なぜか安心の境地になってくるのです。私など、ただ日々を生きているだけなので・・・。

人生50〜60歳が山頂で61歳からは下山とのことです。そこには老後を生き抜いていく心構えもありますよ。

あと、印象にのこったのは、『教えとしての仏教には関心がなく、感覚としての仏教が非常に大切』と言い切っているところです。私は、とりあえず、両方(教えと感覚)関心があります。


あともう一つ、若いきれいな女性の超ミニスカートが、男性に対しての身布施になっているというくだりがありましたが、思わず同感だと吹き出して笑ってしまいました。あれは、布施なんですね・・・(^^;。

人間の覚悟 (新潮新書)

人間の覚悟 (新潮新書)

2008-10-25 大恐慌不況の暗いトンネルの入り口には・・・

昨日は、月一度の宿直(ボランティア)の日で、会社から家に帰って、トンボ返りで某教会へ・・・。


宿直では、ソフト会社の社長の人がいて、その日の円高90円台や株安8千円割れの話しから、湾岸戦争当時のバブルの話しになり、先物取引で数千万円の損失を出し、離婚の危機まで行ってしまったとのことでした。

しかし、離婚危機などは、まだましな方で、まわりには自殺した人が沢山出たとのことでした。

とにかく、株や先物には、素人は絶対に手を出してはいけない・・・高い授業料を払ったもんだ・・・と反省をしていました(その社長)。


とにかく、昨今、大恐慌不況の暗いトンネルの入り口に入ってしまったようですね。

円高90円台、株安8千円割れ、失業者2000万人予定、住宅ローン金利倍増・・・。

さて、このトンネル、何年間続くのですかね。

今でさえ、給料が安くてボーナスが寸志の家計が、ますます崩壊の危機に・・・。

ヒロ君(長男)早くスターになってね。


今こそ、少欲知足の「法華経」の出番かも!

ちなみに、「少欲知足」は、法華経に出てくる言葉で、約2500年前から言われていることなのです。

2008-10-22 スパイスとブッダの不思議な物語

仏教とスパイスの意外な関係が沢山書かれています。

とにかく、著者はスパイスの歴史の文献を沢山調査していて、その博識には舌を巻きます。

そして、調査しているうちにスパイスと仏教との意外な関係が明らかになったのだと思います。


スパイスは、沢山ありますが、特に胡麻とウコンが仏教と深い関係があったのです。

仏教では、発祥当時から精進料理で見られるように肉は食しません。その代わり豆腐と胡麻を食べたのです。

また、剃髪したあと頭にウコンに塗ったそうです。


詳しく本で・・・。

他に、サフラン、にんにく、しょうが、胡椒、月桂樹等などエピソードが沢山書かれています。

なぜか、一気に読めます。

スパイスとブッダの不思議な物語

スパイスとブッダの不思議な物語

2008-10-19 世界平和祈りの週間

今日は、朝から某教会で、太鼓のお役をさせて頂きました。

その時、知ったのですが、今日から『世界平和祈りの週間』とのことでした。

『世界平和祈りの週間』とは、以下の通りです。

「世界平和祈りの週間」は、世界の宗教者が時を同じくして世界の平和と人類の平安を祈り、1974年より続けられています。

10月19日から26日までの国連創立記念日(10月24日)を含む8日間、祈りの週間を通して、いじめや自殺、家庭崩壊などの身近な問題をはじめ、紛争や貧困、環境破壊などの地球規模の問題を私たち自身の問題として受け止め、信仰を持つ私たちが心の奥底にある平和への願いを見つめ直し、具体的な平和活動への行動につなげていく機縁とさせて頂きます。

ということでした。


そして、第1日目の祈りの言葉は、「大いなるいのちに育まれていることに気づくために」です。

仏教的には、『大いなるいのち』とは、仏さまの大慈悲心の大きな力のことで、なんでも自分の意志で行動しているように思いがちですが、実は、その『大いなるいのち』にうながされているのです。

ですから、『大いなるいのち』に気づけは、その大慈大悲につつまれていることが体験できるのです。


なので、私たちを応援してくれる『大いなるいのち』に感謝できる自分にならせていただきましょう!

2008-10-18 すべては感謝の気持ち

今日、月に一度の整体の日で、治療を受けてきました。

治療の部屋にカレンダーあり、そのカレンダーに『食べ物は、感謝して頂けば、胃腸の病気になることはない』という格言が書いてありました。


いやー、過敏性腸症候群は精神的なものが原因で、会社でのストレスだと思っていましたが、腹巻きをすれば、ある程度よくなるし、もしかしたら、食べ物に感謝をしていなかったのかなぁ・・・と思えてきました。


それとは別に、リストラの時代、派遣でずーっと働けるのも感謝。

会社にいる嫌なヤツも、私をいろいろと成長させてくれるので感謝。

大嫌いな親父も、家を残して亡くなってくれた・・・感謝。

朝、目が覚めて、息をしていた・・・有り難い・・・感謝。

まわりに、気のやさしい家族がいる・・・感謝。

ブログやウェブページに1日3万以上のアクセスある・・・感謝。


とにかく、『すべては感謝の気持ち』なのですね。

2008-08-29 最近、なんかへんじゃない・・・

このようなニュースを聞くたびに心がひりひりする。

自然も人間も荒んできているのかな・・・って感じる。


私に出来ることは、世界平和がテーマのお経『法華経』を念じることかな。

2008-08-10 これでいいのだ・・・

すでに、たくさんのところで語られたタモリ氏の弔辞です。

こころに残ったところをメモしときます。

あなたの考えは、すべての出来事、存在をあるがままに、前向きに肯定し、受け入れることです。

それによって人間は重苦しい陰の世界から解放され、軽やかになり、また時間は前後関係を断ち放たれて、その時その場が異様に明るく感じられます。

この考えをあなたは見事に一言で言い表しています。

すなわち『これでいいのだ』と。

私はあなたに生前お世話になりながら、一言もお礼を言ったことがありません。

それは肉親以上の関係であるあなたとの間に、お礼を言うときに漂う他人行儀な雰囲気がたまらなかったのです。

あなたも同じ考えだということを、他人を通じて知りました。

しかし、今お礼を言わさせていただきます。

赤塚先生、本当にお世話になりました。

ありがとうございました。

私もあなたの数多くの作品の一つです。

合掌。平成20年8月7日、森田一義

ありがとうございました。合掌・・・


そうそう、『人の死にかたは、その人の生きかたが表れる』といいます。

素晴らしいお葬式や弔辞、赤塚氏の生前の人柄が偲ばれます。


実は『弔辞ごっこ』だった?(追記)

赤塚不二夫の告別式は

まさに、タモリが得意とし、

赤塚が愛した

“知的な不謹慎芸”“リアルな即興芸”が発揮できる最高の舞台

だったのだ。

もちろんタモリの口から出てきた弔辞は

まぎれもない本音であり、

7分50秒ではいい足りないほどの想いが込められていた。

しかしそれをそのまま語るのではなく、

芸人らしく、大ネタにしたタモリ。

本当に原稿を読んでいるかのように、

白紙の経本折りの原稿をめくり、

即興であるにもかかわらず、

熟考されたかのような心打つような哀悼の言葉を口にすることで、

“告別式の弔辞というネタ” をリアルに演じきった。

それは、

タモリの才能を見いだし、育てた赤塚に対する

最後のネタ披露であり、

赤塚とタモリの“最後の遊び”。

そう、

赤塚が、自身の死をお題にし、それにタモリが応え 

ふたりが大真面目にやりきった

不謹慎ネタ、“弔辞ごっこ”だったんだと思う。

タモリには、告別式の会場のどこかで、

「おまえ、やっぱり面白いよ」って

大笑いしてる赤塚の姿が見えていたにちがいない。

http://kazesaru.blog40.fc2.com/blog-entry-31.html

『ふたりが大真面目にやりきった不謹慎ネタ、“弔辞ごっこ”だったんだと思う。』

確かに、そう言われると、そう思う。

2008-08-08 仲良くするのは難しいパート2。

人には、相性というものがあります。


普通、結婚は相性の良い人とするものです。

しかし、実際は、相性が良いと単に勘違いした、あるいは、騙されたケースが多いようですね。


ですので、結婚生活をつづけていると、『無性に腹が立つ』ことがありますね(たぶん相手も同様でしょう・・・)。

これは、感情なので理性では、なかなか抑えきれません。


しかし、そこをなんとか乗り越えるところが、宗教を行ずる信仰者ではないでしょうか・・・。


法華経では、お釈迦様が、自分を何度も殺そうとしたダイバダッタでさえも、良い友達としているのです。

逆にいうと、自分にとって都合が悪い相手ほど自分を成長させてくださる有り難い友としてみるのが仏教(法華経)なのです。


ちなみに、『無性に腹が立つ』の無性は仏性がない状態のことらしい。

仏性のないこと。成仏(じようぶつ)できないことが生まれつき定まっていること。

http://dictionary.www.infoseek.co.jp/?ii=2&sm=1&sc=1&gr=ml&qt=%A4%E0%A4%B7%A4%E7%A4%A6&sv=KO&lp=0

すべての人には仏性があるはずなのですが、「怒り」や「絶望」は仏性を覆い隠すのですね。

逆の「喜び」や「希望」をいつでももてる自分になりたい・・・・・・。

2008-08-08 光をあてる・・・・・・合掌

開祖さまに倣いて

開祖さまは、出会うどなたにも、必ず合掌でご挨拶されました。

家庭でも、私たち孫にいたるまで、合掌で拝んでくださいました。

開祖さまの近くにいると、いつも前向きで、人を喜ばせたいという、自分のなかのいちばん気持ちよい心が湧いてきました。

それは、開祖さまが、相手を責めないとか、許すというだけでなく、いつも私たちのなかにある、自分でもきづいていなかったような仏ごころを見つけ出し、そこに光りをあててくださったからです。

ちなみに、著者の庭野光祥次期某会会長は、開祖さまの孫にあたります。

2008-08-07 仏性を拝み出す・・・・・・菩薩行

開祖さまに倣いて

また、そろそろ法華経が足りなくなりましたので・・・。

菩薩行の根本は、人間を礼拝することである。

人間を礼拝するとは、あらゆる人間の中にある仏性を認めることである。

仏性を認めないでその人を救おうというのは、形式だけの空虚な行いに過ぎない。

その人の中に必ず実在する仏性を拝み出すところに、真の済度はあるのだ。

菩薩にとっていちばんたいせつなのは、いうまでもなく愛他・利他の精神であり、その精神から発した実践行動であります。

その実践行動を<布施>というのです。

From 開祖さまに倣いて

◆ おわりに

徐々に、充実させていきます。本ページで何かを感じていただければ、幸いです。そして、法華経とご縁になりますように……。

また、間違え、ご意見、ご感想などを燈明日記のコメント欄にもらえたら大変うれしいです!

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しかし、よくここまで、たどり着きましたね。拙い文章を読んで頂いて、深く感謝致します。では、また!

参考文献

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