Menu

ちゃいちゃん天使のページ

みんなのちゃいちゃん!


ちゃいちゃん

◆ もくじ

◆ はじめに

本コーナーは、生前にちゃいちゃんとご縁があった方々のゲストブックや手紙等でのメッセージをご紹介しています。

ちゃいちゃんとご縁があった方、ちゃいちゃんへメッセージをお願い致します。
天国で、ちゃいちゃんが楽しみに待っていると思いますので...。
はずかしがらず、どしどし、メッセージ(ゲストブック、メール、手紙等)を下さい。お待ちしています。

とにかく、ちゃいちゃんのことなら、なんでもいいです。よろしくお願い致します。

長田先生(小学校6年での担任。以下は学級通信号外から抜粋)

沙友里さんは何事に対しても一所懸命でした。
あの小さな体の中にどこにそんなパワーがひそんでいるのかと思うほど、力一杯走り、力一杯飛び、力一杯動いていましたよね。
文字もていねいで、正確で、そして見易い文字で書かれたノート...。
少しでも大きな声を出そうと、顔を赤らめながらも発言していた姿...。
そして、夏の”演劇フェスタ”では、コギャル風の白猫を堂々と演じ、かくれた才能をみせてくれました。
合奏では、トランペットを見事に吹きこなし、”祝う会”では高い音が出たと喜んでいました。
友達が保健室で休んでいると、「大丈夫?」と声を掛けにでかける優しさもありました。
三鷹ばやしの演奏姿もかっこよかったですよね!

卒業式でのメッセージ、「中学校でも新しい友達の良いところをどんどん見つけていきます。」は、小学校で良い友達ができた証拠だと思います。
式後の教室での話しのとき、思わず涙ぐんでしまった私の目には、沙友里さんが顔をおおってしゃくりあげた姿が焼き付いています。

そして、30日の野川公園での遊び会。それがみんなとの最後のお別れになってしまうなんて...。
撮影後、更に武蔵野公園に向かった私達に、自転車のハンドルを握りながら、元気良く「さようなら!」と言った声が最後でした...。
みんなとの楽しい思い出が作れてよかったと考えるべきでしょうね。

みんな一人一人にも沙友里さんとの思い出はあることでしょう。
それを胸に、君たちが元気良くこれから生きていく姿を、沙友里さんも楽しみにしているはずです。
心からご冥福をお祈りします。 2000,4,7,A,M,00:10筆

まさや君(RKKの学生部で一緒。以下はゲストブックから)

ちゃいちゃんと僕との出会いは本当にごくわずかでした。
けれどいつもちゃいちゃんとの出会いは心に残るものが
ありました。うーん、言葉では言いにくいのですが一言
でいうと僕自身がちゃいちゃんの笑顔に救われていました。
とりあえず、ちゃいちゃんの元気な姿が見れればそれで
いい、みたいな。
今も、ちゃいちゃんからたくさんのことを学んでいる気がします。
そして、一生ちゃいちゃんのことは忘れません。
(実は僕もちゃいちゃんのファンです。)

みんなにもちゃいちゃんのことを知らせたいので
<ちいちゃん天使のコーナー>をすべてコピーさせて頂きました。
パソコンを持っていないRKK学生部の人に見せたいと思います。

>ちゃいちゃんパパへ
ちゃいちゃんのことたくさん知る事ができました。
本当にありがとうございます。また、ちゃいちゃんのお話を
聞かせて下さい。
ちゃいちゃん、また会いに来るね!

ムック(鼓笛隊で一緒。以下はゲストブックから)

さゆりちゃんの笑顔、思い出す度に涙が出てきます。
僕は、あの天使のような笑顔に、知らず知らずのうちに支えられていたのかもしれません。
もう、どこへ行っても、あの笑顔が見られないと思うと、とても辛いです。

しかし、さゆりちゃんが残してくれたものは、辛い思いでだけではなく、いろいろな楽しい思い出もたくさんあります。
そんな、いろんな思い出をくれたさゆりちゃんに出会えて、本当に良かったです。
この出会いに感謝しています。

れあちゃん(鼓笛隊での親友。以下はゲストブックから)

さーちゃんとは、もう10年近く鼓笛をやらせて頂いていたんですね。
はじめは、あまりに突然で理解できず、どうしようもなく悲しかったことを覚えています。
でも、今はさーちゃんにあえて本当によかったと思っています。
さーちゃんの笑顔にはいつも支えられ、元気をもらいましたました。

そして最後に、命の尊さを教えてくれました。『本当にアリガトウ』って、ただそれだけです。
このホームページからも、多くを知りました。 さーちゃんの棺におさめたピンクのファイル(学生部から頂いた物)実は私もおそろいのを頂きました。
それを、苦手な英語に使って、さーちゃんを見習ってがんばろうって決めました。

さーちゃんへ ありがとう。そして、目をつむればいつでも会えるから…
これからもよろしくね!

では、また来ます。
  

まんな(小学校での親友。以下はゲストブックから)

ちゃいちゃんのパパさん、こんにちは。ちゃいちゃんと仲良しだったまんなです。
まんなの夢の中に、ちゃいちゃんは良く遊びに来てくれます。
ちゃいちゃんが、天使のコになってしまった次の日に見た夢です。

・・・・桜が満開に咲いて、空までピンクになっている様な、ピッカピカに晴れた日、初めてちゃいちゃんに出会い、ちゃいちゃんとバイバイしました。

この夢も、ちょうどそんな日でした。

学校の帰り、いつもちゃいちゃんと一緒だった私は、なぜか1人で帰っていました。
ちゃいちゃんを探しながら,,,,。
ちゃいちゃんを探して歩いているうちに、学校の桜の木の前でピタッッと足が止まりました。
すると、学校には誰もいなくなって、右の方に、桜より濃い色のピンク色がチラッとだけ見えました。
まんながハッて思って右を見ると、ピンクの服のちゃいちゃんが立っていました。

「ピンクの服を着ると、降りてこれるんだ。だから、まんなとこれからも一緒にいられるよ」と笑って言いました。

・・・・・・・少し悲しくなったけど、これからもちゃいちゃんと、ずっと一緒にいれる。
ちゃいちゃんがそばにいてくれるなと思って、ちゃいちゃんと一緒に、ちゃいちゃんの分も頑張れるって思ってます。
ピンクのカワイイほっぺをして、ニッコリ笑って、ピンクの服を着て、遊びに来てね。
今も、ピンク色の透き通った、キレイなちゃいちゃんの心は、まんなも持ってるよ。

しーちゃん(小学校での親友。以下はちゃいちゃん13才誕生日へのお手紙から)

4年2組の時に、はじめて会ったよね。
やさしそうな天使の顔だったヨ。
ちゃい子なんで...。でも天使になったんだよね。
かわいくて、やさしい「さゆり天使」に...。

なんでだろう。それがなくなんないと気が付かないんだね。大切なものに...。
あとには、こうかいだけのこる...。

ペン3本ゴメン。本もゴメン。こんな私で本当にゴメン。
ちゃい子、もうあえないかな。ちゃい子にとって私ってなに?
私にとってあなたは大切すごく...。
いやだ、こわいよ。ちゃい子がいてくれなきゃ...。
ちゃい子、ごめんね、さいごまでいっしょにいられなくて。
でも、ずっとそばにいてね。絶対に忘れない。
もう、なんて書けば良いのかわからない。

私の胸の中で、心の中で、いつもひかってる。ちゃい子の思い出。
バイバイ。でもまたね。
13才、ハッピーバースデー。
これからも、これからも、ずーっと、ずーっと友達でいよう...。

あやちゃん(小学校での親友。以下はちゃいちゃん13才誕生日へのお手紙から)

いい思い出が沢山できました。
あやは、さゆに会えて、いろんな事を学んだよ。
さゆは、本当によく、あやの相談にのってくれたよね。
すんごぉーくやさしかったよね。
いっぱい笑って、いっぱいけんかしたけど、本当にたのしかったね。
あたしさゆの事、本当に、本当に大スキだったヨ。
調布に買い物に行ったり、プーたんと遊んだり、たまには騎馬戦の時とか、すごいけんかしたよね。
今も、さゆと調布に行った時に買ったシャーペンを使っているんだよ。

みんなと話していると、必ず、さゆの事を思い出します。なんだか恥ずかしいね。
今は羽沢のオトモダチも出来ました。でも、まだ、いろんな相談できないんだ。
でもがんばるね。

タイムカプセル、20才になったら、開けます。
でも、その時、泣いてしまったら、ごめんね。

さゆとの思い出、ぜったい忘れません、忘れられません。
だから、さゆも泣かないでね。
あたしはかなりガマンしてんだから。
あとの気持ちは胸にしまいます...。あや。

モリンボ(小学校での親友。以下はちゃいちゃんママへのお手紙から)

ちゃいちゃんとは、三年生の終わりから仲良くさせて頂きました。
SPEEDジュニアをやったり、一緒に遊んだり、とても楽しい思い出ばかりです。
すごくやさしくて、かわいくて、ちゃい子がいるだけでみんな楽しくうれしくなれました。
私がくじけそうに、泣き出しそうになった時も見守ってくれました。うれしかったです。

ちゃい子の顔を見て思いました。
「ねているみたいだなぁ〜。やさしい寝顔だなぁ〜」って...。
卒業式が最後だったなんて思うと涙があふれてきちゃう...。
でもいつも、ちゃいちゃんが見守ってくれるから、わたしがんばります。
ちゃいちゃんと一緒に。

ちゃいちゃんと仲良しになれて、ちゃいちゃんと友達になれてよかった。
ちゃいちゃんと出会えてよかった。ありがとうございました。
たまには顔を出しますのでその時はよろしくおねがいします。

いつも一緒、いつも仲間、ずっと友達、ずっと仲良し。
ちゃい子...だから...ありがとう。がんばるから、ゆっくり休んで、また会おうね。
<ちゃいちゃん>へ <モリンボ>より

寺沢さん(小学校での先輩。以下はお手紙から)

演劇部で一緒に朝早くから練習をしたりしましたね。
本番でのさゆりちゃんはスポットライト浴びて、光り輝いていたのを覚えています。

鼓笛隊(小学校の)でも一緒でしたね。
これも、朝練があったけど、いつもまじめに練習していましたね。

いつもは、おとなしめの女の子でしたが、いろんなことに挑戦している時の目が輝いていました。
私は、そんなさゆりさんが大好きでした。

こんなことになってしまうなんて、本当に思いもしませんでした。
いつまでも、私達の心の中で さゆりちゃんは輝いています。
どうか、安らかに、眠って下さい。 中学2年 寺沢

ユキちゃん(鼓笛隊での先輩。以下はちゃいちゃんママへのお手紙から)

ホントにさーちゃんは、私にとっても、みんなにとても、天使のような存在でした。
約10年の付き合いでしたが...。

さーちゃんが2才の時の頃が、いつだったか、わかりませんが、鼓笛入り、一緒にポンポンをしている時期もありましたね。
フェスティバルの時は、前泊をせずに、いつも当日、お母さん方が送ってくれて、又、本番が終わると帰ってしまいました。

それが、いつの日か、一緒に泊まったりするようになり、小さい時は、ピンクのリュック一つで来て、「ちゃんと着替えが入っているのかな?」 など心配しましたが、中を見ると、次々と小さい洋服が出てきて、「こんなに荷物が少なくてうらやましい」と思ったことを憶えています。

そして、だんだん、さーちゃんが成長するにしたがって、カバンも牛柄になったり、最後には黒色のキティーちゃんバックになりましたね。
カバン一つにしても、これほど人の成長する姿を見るのは、そして覚えているのは、さーちゃんくらいだと思います。

合宿などの泊まりの時「誰が、さーちゃんの横に寝るか」をジャンケンで決めた頃もありました。
寝る時には、私に「ユキちゃん、コワイ話して!」って言い出し、話をはじめると、こわがりながらも、真剣に聞いていました。
少年部の練成の時も、そうでした。いつも班は違ったのに、朝とかに会うと「ユキちゃん、おはよう。」って言ってくれた。

うん。どんな時でも、さーちゃんの笑顔を見ると「負けないようにしよう」とか「がんばってみよう」とか思えるようになれた。
みんな、そうだったと思います。

”鼓笛をやめたい”と思い、考えてた時、”今日の鼓笛の練習行くのやめようかな...”って思っている時、なんだか、智ちゃん(上野)に、 「さーちゃん、今日来る?」とか聞いて「くるよ」って言われると「じゃぁ行こうかな...」なんて思って、単純だけど、 それくらい私の中でコイケ沙友里という少女の存在は大きかったの。

何度も、さーちゃんに救われてきました。そして、支えてもらっていました。
さーちゃんは私に、たくさん幸せをくれました。
本当に妹みたいにかわいかった。(現実には妹は、いない私ですけど)

最後に...。
さーちゃんに出逢えて嬉しかったです。コイケ家のみなさん、ありがとうございました。
私の中で、さーちゃんはこれからも、ずっと生き続けますので、安心してください。
それでは。また...。 合掌 2000.4.24 ユキ

ちゃいちゃんママ(埋葬時のお手紙から)

前書き

埋葬時に、みんなで ちゃいちゃんへお手紙を書きました。
その時、ママのをコピーしていて、一時期このページで公開していましたが、ママに見つかり、「無断で載せるな!」
と怒られ、引っ込めました。それから、毎日事ある毎に、載せていいか? って口説きましたが、返事はいつもNOでした...。

実は、今回も無断です!
しかし、今回は、亡くなってからちょうど半年(10/06)と云うことで、また、見つかるまで公開致します。

私は、このメッセージを読んですごく感動しました。今も涙が...。
母親としての本音や思い、また、最後にちゃいちゃんの死を通して、生きがいを見つけていく所など...。
まぁ、とにかく暫定公開ですので、是非お読み下さい!

そして、ちゃいちゃんママへメッセージをお願い致します!
もしかしたら、正式公開許可が出るかもしれないので...。

ママに内緒で...

沙友里ちゃん 13年間 お母さんの子でいてくれて ほんとうにありがとう。
沙友里ちゃんは お母さんにとって ほんとうに自慢の娘でした。
かわいくて きれいで 何でもできて...
学校のお母さんたちから コイケさんちの子 きれいね...かわいいね...って言われると、
口では「そんなことないよ...」って言いながら、ほんとうは 心の中で とてもうれしく、
ほんとうに そうだなって お母さんも そう思ってました いつも...
どうして こんなお母さんに こんないい子が 生まれてきたのかと とても不思議な気持ちになりました。
なんでも頑張って お母さんには とても さゆりちゃんのマネはでないよ 一生かかっても...。

おはやしや鼓笛、かけっこ一等賞、演劇や演奏 ほんとうに ほんとうに いろいろなところで活躍して、
お母さんをよろこばせてくれました。
それなのに お母さんは さゆりちゃんのこと なかなか考えたり 思ったりできなくて 今思うと後悔して、
もっと さゆりちゃんのこと 大切にできなかったのかと とても くやんでいます。

さゆりちゃんも そのことで とても さみしい思いや やな思いしてたよね、
きっと ほんとうに ほんとうに ごめんね。
さゆりちゃんが生きてる時に そのことに気づけばよかった、
お母さんは やっぱり さゆりちゃんのような みんなに愛される女の子を子供にもつ 資格ないんだよ、
ほんとうに ほんとうに 大切にしてあげられなくて ごめんね ごめんね。

でも、ここ何ヶ月か とても楽しかったし、うれしかったよ、さゆりちゃんと二人でお買い物したり、
モスバーガーで何回か食べたっけね、夜にオダキューOXまで買い物にも行ったね、たいしたことじゃ なかったけど お母さん すごく 楽しかった。
だって さゆりちゃんと二人でいる時間 あまりなかったもんね。何もしてあげられなかったけど 気にはしてたんだ 実は...
何とか さゆりちゃんとの時間をつくりたいって お母さんに付き合わせて さゆりちゃんには つまらない思いさせちゃったことも いっぱいあったね。
でも、さゆりちゃんは いつも文句言わないで お母さんが ごめんね 付き合わせちゃて...って言うと 気持ちよく「いいよ いいよ」って いつも言ってくれたよね。
お母さんより さゆりちゃん の方が ずっと ずっと 大人だったんだよ、子供みたいな お母さんで ごめんね。

今日で、さゆりちゃんとお別れしなくちゃいけないと思うと 悲しくて つらくて この気持ち どうしたらいいのかわかりません。
でも、いつの日か お母さんも、お父さんも 兄じゃも このお墓に入ります。
ほんとうなら さゆりちゃんは お嫁に行って 他のお墓に入るのですが、
12才と10ヶ月23日で嫁入り前なのでコイケの子としてこのお墓でねむるのです(いやかな?)
でも、お母さんはそう考えると 少し うれしくなりました。
この世ではもう会えないけど いつの日か このお墓に お母さんも入って それからは ずっと ずっとさゆりちゃんと一緒に いられるからです。
こんなこと めったに ないよね、さゆりちゃん めいわくかも でも お母さんは それを 励みに これから 生きていきます。....

こんなに いっぱい さゆりちゃんにお手紙書くの はじめてだね、 ちゃいちゃんはけっこう お母さんに いろいろ書いてくれたのにね。
ほんとうに ほんとうに ダメなお母さんで ごめんね、次の世では少しでも ましな お母さんになれるように この世で 修行するよ...
だって、こんなに すごい ちゃいちゃんのお母さんに生まれ変わるには ちゃいちゃんに ふさわしいひとになってなきゃ いけないんだもんね...
頑張るよ、また、ちゃいちゃんと親子に生まれてくるなら...
でも、くじけそうになったら きっと きっと 応援してね。
ほんとうに ほんとうに お母さんに いろいろ教えてくれて ありがとう さゆりちゃん。

-------------------------------------------------------------
かわいい かわいい たいせつな お母さんの宝もの の さゆりへ
-------------------------------------------------------------

平成12年6月3日(土)AM 3:01 お母さんより
PS. たまにはメッセージちょーだいね。

早久来ちゃん(鼓笛隊での親友。一周忌のお手紙から)

さーちゃん、また春がやって来たね。さーちゃんが天使になって、もう一年たったんだね。
この一年は早かったけど、中身はぎゅうぎゅうの一年でした。

2000/8月には、道場でのお説法をさせて頂きました。
沢山の人に、私の気持ち、そして、さーちゃんのことを聞いていただいて本当によかったです。

2001/2月には、私の通っている中学で2年生の一番大切な行事「立春式」がおこなわれました。

それは、クラスの代表者が全校の前で作文を読むというものでした。クラスでは全員2枚くらいの作文を書いてクラスの中で読んで、投票して代表を決めたところ、私が代表に選ばれました。その内容は、さーちゃんのことでした。なんだか、先生達も「これはイイ」と言ってくれていたそうです。(ちょっと、うれしかった) 本番は、緊張していたけど、読んでいるうちに緊張はなくなりました。(さーちゃんのおかげかも...)

おわった後、クラスでは、「よかったよ」「感動した」などの言葉を沢山いただきました。 部活では、「本当によかったです」「泣きそうでした」などの言葉をいただきました。 他にも、一人の先生が泣いてくれたらしいです。 本当にうれしかったし、さーちゃんの言葉を沢山の人に伝えられたと、又うれしくなりました。

2001/4月には、花祭りパレードがありました。昨年さーちゃんと踊った「ラピュタ」もやったよ。 さーちゃんがソロをやったところは、れあちゃんと私の二人で半分ずつソロをやりました。 それにさーちゃんの弟のヤスとマチャが鼓笛デビューしたよ。それに私は、さーちゃんに会いましたよ。 横になって演奏する時私の前にさーちゃんがいました。その時は、嬉しくて、少し笑顔でおどりました。 見に来てくれてありがとう。

私は思いました。さーちゃんはいつもそばにいてくれたな...って。
さーちゃんが亡くなる前も、いつもとなりにいてくれた。
亡くなった後も、横にいてくれたって...。
本当にありがとう。
そして、これからもよろしくね。
私は、さーちゃん大好きだよ。今年も、昨年のよーにもっともっと桜が咲きますよーに。

FROM 早久来  H13,4,4,水,PM6:42

ちゃいちゃんパパから...

早久来ちゃんには、本当にちゃいちゃんが見えたのですね...。

あと、一周忌に沢山のかわいいお花をもらいました。その中に凄く心に響いたメッセージカードがありました。 是非、紹介させてもらいます。

沙友里ちゃんに たくさんのありがとうを込めて...。 Form suzuki.

この短いメッセージに、なぜか、感動してしまいました...。ありがとうございました。

ちゃいちゃんママ(一周忌前、佼成新聞取材後のちゃいちゃんへのお手紙。)

ちゃいちゃんへ

ちゃいちゃん元気ですか?天国は楽しいですか?
こんなふうにちゃいちゃんにお手紙を書くのは2回目だね、 早いものでちゃいちゃんが天国に旅たってから一年になろうとしています。

あの日からお母さんは悲しくて淋しくて辛くて、ちゃいちゃんのところへ行きたいと何度も思いました。 今まで生きることがこんなに苦しいと感じたことはありませんでした。 でもそれはきっと13年間のちゃいちゃんとのふれ合いをとても後悔したからだと思います。 どうしてもっとちゃいちゃんの命を大切に思うことができなかったのかなって...

この一年いろいろなことがありました、やっくんが不登校になったり、兄じゃが不安定になったり、やっくんがちゃいちゃんと同じように脈拍が多いことがわかったり、でもそんな中でパパは一生懸命ちゃいちゃんのホームページを作ったり、お役をしてたりして頑張っていました。 そんなパパを見ていて”パパって素敵だな”って思いました。 今までのパパのこと そんな風に思ったことなかったのにね...(笑)

それで お母さんも自分の命を輝かして生きたいって思うようになれたんだ。ちゃいちゃんもいつもそういう生き方してたんだよね。 ちゃいちゃんがずっとずっとお母さんのそばにいたら自分の生き方なんて考えることもなかったと思う(お母さんはめんどうくさがりやでなまけものだからネ...笑)

ちゃいちゃん ありがとうね。

最近は家の中もすごく明るくなってみんな仲良しになりました。 やっくんも疲れやすいみたいだけど明るく元気に学校に行っています。 お母さんも今とてもうれしいような楽しいようなそんな日々を送っています。

これもみんなちゃいちゃんのおかげです!

やっはりちゃいちゃんてすごーい!

またちゃいちゃんに会えることを信じて今は一生懸命一日を大切に生きていきます。ちゃいちゃん応援してネ!

P.S

ちゃいちゃんの一周忌に合わせたように佼成新聞3月2日号、4月1日のサテライトでちゃいちゃんのことを紹介してくださいます。教会長さんが言って下さったとおり全国にはばたくちゃいちゃんになっちゃたね!!!
4月1日は吉祥寺で花まつりのパレードがあるそうです ちゃいちゃんもきっと鼓笛のみんなと一緒に参加するんだね よかったね...。 また、お手紙かくからね お母さんより...。

ちゃいちゃんパパから ちょっと解説

このお手紙は、今年(2001年)2月の中旬ごろ佼成新聞の取材の一番最後に、記者さんから、「今のお気持ちをちゃいちゃんへお手紙してください。」との依頼で書いたものです。

埋葬の時と比べると、だいぶ立ち直れたって感じが伝わってきます...。
なんか、ちゃいちゃんが天国ですべて根回ししてくれたように感じるのは、私だけでしょうか...。

ちゃいちゃんが、亡くなった悲しみや淋しさを、これでもか、これでもかって励ましているかのように...。
ちゃいちゃん、ありがとう!


前ページ / 次ページ

Menu